谷垣禎一 総裁を託した安倍晋三元首相のこと――「対立の岸」と「融和の池田」 一人二役をめざしていた

谷垣禎一(元自民党総裁)

必要と考えれば左派的な政策も

──14年9月には、総裁経験者として初めて幹事長に就任されています。


 こんなことを言っては石破茂さんに失礼にあたるのですが、法務大臣として安倍首相と石破幹事長とのコミュニケーションを横目で見ていると、どうも波長が合っていないように感じられました。やっと政権を取り戻したのに、中心の二人が意思疎通できていないのはまずいと思っていたんです。安倍さんから幹事長就任を打診されて、初めはやはりお断りしたのですが、二人で話すうちに、内閣と党が一体となって成果を収めるためにできることをやろうと思いました。安倍さんには「総理、せめて週に1度は二人で昼飯くらい食べましょう」と言いました。


──15年に成立した平和安全法制関連2法(安全保障関連法)をめぐっては、官邸や国会議事堂を取り囲むような大規模なデモが起こるなど世論は二分し、内閣支持率も大きく低下しました。法案可決後に、「次はみんなが協調できる政策を打ち出してください」と安倍さんに進言なさったそうですね。


 戦後日本の新憲法体制の中で、最も強い政治的対立の根源となってきたのは、やはり憲法改正や解釈の見直しでした。安倍さんの祖父にあたる岸信介首相は、激しい批判と対立を乗り越え60年安保改定を成し遂げましたが、長い歴史の中で見れば改定は必然であったし、必要だったと私は思います。岸首相の後を受けた池田勇人首相は、所得倍増計画を掲げて国民に鼓腹撃壌(こふくげきじょう)(善政が行われ、人々が平和な生活を送るさま)をもたらし、政治的対立を豊かさでもって融和に変えました。

 安保関連法成立後の安倍さんとの昼食の席で、私は「岸・池田両総理の役割を果たしてください」と伝えました。すると安倍さんは即座に、「まったくおっしゃる通りです。いや、実は今日、私もそのことをお伝えしようと思っていました」とおっしゃる。あれれ、と思いました(笑)。あれだけ党内、党外を問わず政治的対立を鮮明に打ち出してきた人で、歴代首相の中でもあれほどアジ演説が上手な人はいないと思うくらいですが、その安倍さんがこれからは融和が必要だと考えていたことは、正直言って意外だったんです。


──たしかに意外ですが、安保関連法成立直後に掲げた「1億総活躍社会」や女性活躍推進法、17年の衆院選で打ち出した「全世代型社会保障」など、以降の安倍さんはいわゆる「タカ派の保守政治家」というイメージとは肌合いの異なる政策も打ち出していますね。このあたりは谷垣さんの進言もあってのことなのでしょうか。


 政策の基本線は、すでに安倍さん自身が考えていた様子でした。そもそも、安倍さんが議員になって初めて就いた役職は自民党の社会部会(現在の厚生労働部会)長で、社会保障に関するセクションの長でした。その経験が首相としての施政にどれほど生かされたかはわかりませんし、保守的というよりも右派的と言っていい政治思想があったことは間違いありませんが、必要と考えれば国民皆年金・皆保険というきわめて左派的な政策も推し進めるところに、安倍さんの特質があるとは思いますね。

 そもそも皆年金・皆保険なんて、かつての日本社会党の思想を自民党がパクっちゃったと言ってもいいわけです(笑)。実現するためには財源を確保しなければならないわけで、そのために消費増税を行うと自民党が言い出したことを、社民党や立憲民主党はもう少し評価してくれてもいいと思うのだけど、まあこのあたりは自民党がしたたかというか、ズルいところではありますね。

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