冨山和彦 コンサルはなぜ必要とされ、なにが足りないのか
個からシステムへの転換
──コンサルを必要と考えていなかった日本企業が、考えを転換させたのはなぜでしょうか?
「情報の非対称性」がどんどん大きくなってしまったからでしょうね。たとえば金融機関の規制緩和は日本よりも欧米、とくにアメリカがかなり先行していました。金融機関が緩和に合わせて事業を再編していくにあたって参照すべき、日本にはない知識や経験の蓄積がアメリカにはある。先行している側の情報やベストプラクティスをデータとして集積し、日本の金融機関に提示するというコンサルのモデルがそこで確立しました。
同時にバブル崩壊以降は、イノベーションの発生源が日本企業からアメリカ企業に完全に移行しました。各社の経営企画部が立案していた自前の戦略は機能しなくなり、アメリカの破壊的イノベーションのデータを的確に整理して伝えるコンサルのニーズが大きくなりました。ジャパン・アズ・ナンバーワンを支えた重厚な経営企画部はコストとベネフィットが見合わなくなり、どんどん縮小され、企業戦略がコンサルにアウトソーシングされるようになったのだと思います。
──日本企業が自信を喪失するなかで、コンサルへの依存度が高まったということですね。
バブル期の日本企業は自信過剰で、私がスタンフォード大学に留学した1990年頃でも、「もうアメリカに学ぶことはない」「日本的経営を欧米の方が学ぶべきだ」といった物言いをしばしば耳にしました。その反動で、今は過剰なまでに自虐的になっていて、なにかあると欧米との非対称性を埋めるために安易にコンサルに頼ってしまう傾向が見受けられます。
──ニーズの増大とともにコンサル業界の規模も拡大し、現在の活況がある、と。
はい。ただ、コンサル側の業務内容もその頃からは大きく変化しています。我々の時代のコンサルは言わばテーラーメイドで、案件ごとにゼロベースで戦略を考えなければならなかったので、生産性は低かったんです。
今のコンサルは規模の拡大とIT化によって装置産業(生産工程の大部分を大規模施設・設備が担う産業)化しているので、分析手法や戦略策定、さらには実行計画へ落とし込むフレームワークやテンプレートが無数にあって、その組み合わせだけで相当なことができてしまう。緻密な仕組みがすでに構築されているので、ファクトとロジックをベースに考える訓練さえ受ければ、偏差値の高い優等生はそれなりに正解を導き出すことができるんです。
我々の時代までのコンサルは、たとえば大前研一さんのような強烈なオリジナリティを持つ人がほとんどで、既存のフレームワークやテンプレートなどはじめから否定してかかるタイプの変わり者ばかりでした。だから生産性は低いし、ものすごく高いパフォーマンスを発揮する場合もあれば大外れになることもあったし、長年にわたって成功を続けるコンサルは一握りでした。ただ、とくにアメリカでは、コンサル出身の大経営者がしばしば現れていました。その最たる例がアメリカン・エキスプレスやRJRナビスコ、さらにIBMとカーライル・グループの最高経営者を務めたルイス・ガースナーですが、最近はアメリカでもこういうタイプの経営者は少なくなっています。つまりコンサルはテンプレートで実務ができてしまうので、自分の頭で考えて決断したいタイプの人がフィットする職種では、すでになくなっているのかもしれません。
(続きは『中央公論』2023年10月号で)
構成:柳瀬 徹
1960年和歌山県生まれ。東京大学法学部卒業。大学在学中に司法試験合格。スタンフォード大学経営学修士(MBA)。ボストンコンサルティンググループを経て、2003年に産業再生機構COO。解散後、株式会社経営共創基盤設立。『AI経営で会社は甦る』『コロナショック・サバイバル』など著書多数。