ネコの寿命が延びるAIM創薬 養老孟司と免疫学者・宮崎 徹が語る老いと病 

養老孟司(解剖学者)×宮崎 徹(東京大学教授)

ネコの寿命を延ばすタンパク質AIM

宮崎 養老先生とぜひ話したかったのは、いまの自分の研究対象の一つでもある、ネコについてです。つい先頃、二〇二〇年十二月に、先生やご家族が一八年にわたって寄り添っていらした愛猫「まる」ちゃんが、残念ながら死んだと聞きました。

養老 「まる」はある日、娘が黙って家に持ってきて。女房も「家に帰ったらネコがいた」って。僕は好きも嫌いもないけれど、それ以来、「まる」はいつもそばにいました。

宮崎 最期はどんな様子で......。

養老 餌はよく食べてはいたけれど、心臓肥大、それに腎不全で、脚などは倍ぐらいの大きさに膨らんじゃってましたね。人間は痛ければ「ここが痛い」って言うけれど、動物は何も言わない。かわいそうでね。「なんとかしてやりたい」という気持ちは強まるものですよ。

宮崎 「まる」ちゃんに間に合わなかったのはつらいことですが、私はネコの寿命を延ばすことも、AIM(Apoptosis Inhibitor of Macrophage)研究の一つの目標です。四年ほど前から創薬の研究を始め、まずはネコにAIMというタンパク質をペットフードのような形で投与することを考えているところです。

養老 それはいい。

宮崎 アメリカで免疫学の基礎研究をしていた二〇年ほど前、血中に存在するタンパク質の遺伝子を見つけました。これをAIMと呼んでいます。AIMには、免疫において重要な細胞のマクロファージを死ににくくさせる働きがあると見ていたのですが、さらに調べると、腎不全、神経変性疾患、腹膜炎、肝がんなど、多様な病気に対する治療効果があるとわかってきました。不思議なタンパク質だと思いながら研究していると、どうやらAIMには、体の中に溜まる「ゴミ」にくっつき、「ここにゴミがある」と示す役割があるとわかってきたのです。AIMがあるところにマクロファージが集まってきてゴミを食べ、効率的に掃除するのです。

養老 つまり、ゴミのマーカーみたいなものですか。

宮崎 ええ。私はよく、AIMを「ゴミのありかを伝える札」と説明しています。

 AIMの研究の一環で腎不全について研究していたある日、知り合いの獣医から「ネコの多くは腎不全で死ぬんだ」と聞きました。これに興味を持ってネコのAIMについて調べてみると、ヒトやマウスと同様、ネコにもAIMの遺伝子が存在し、タンパク質も作られてはいました。ところがネコに限っては、そのタンパク質が活性化せず、ゴミがあることを知らせる「札」として働かないのです。そのためネコは、腎臓のゴミが掃除されずに詰まってしまい、これが腎不全を引き起こすことがわかりました。

養老 ネコにだけは機能が働かない。

宮崎 そうなのです。AIMは普段、免疫系にある別のタンパク質分子にはまっているのですが、ヒトやマウスの場合は、体にゴミが溜まってくるとそこから外れてゴミにくっつきます。けれども、ネコではAIMが別のタンパク質分子にはまったまま外れないため、「札」として機能しないのです。そこで、体外からAIMを与えれば、ネコでもAIMが「札」として機能するだろうと考え、ネコの寿命を延ばすためのAIM創薬に取り組んでいるわけです。

養老 AIMは哺乳類だけにあるのですか。鳥類とかにはありますか。

宮崎 完全な形としては哺乳類だけです。鳥類にもAIMと似た構造のタンパク質はありますが、機能的には異なるようです。

 ネコにAIMが働かないことがわかったので、同じネコ科のトラ、ライオン、チーターなどでも調べてみました。すると興味深いことに、ネコ科すべてにおいてAIMが働かないことがわかりました。トラもライオンもネコ同様に、多くが腎臓を悪くして死んでいきます。

養老 ネコ科に共通して働かないのは、不思議ですね。

宮崎 ええ、いろんな方からも聞かれますが、「哺乳類の進化の過程で、なぜネコ科だけ取り残され、AIMが働かないのか」は、私自身にも大きな疑問です。

養老 何か「裏」がある。つまり、ネコ科にはAIMが働かないことで、利益になるようなことがあるはずですね。

宮崎 私もそう思います。ネコ科の動物たちは、腎不全になるような犠牲を払うだけの利益を何か得ているはずだと。けれども、それがどんな利益なのかはわからないままです。

養老 そうしないと、ネコもイヌになっちゃうからとか。(笑)

宮崎 仮説として、「ネコ科でもAIMが働き、腎不全が減ったら生態系が崩れてしまうから」というものを立てています。ネコ科には、トラ、ライオン、チーターなど、強い肉食動物が多くいるので、これら動物の寿命が延びると、相当に大きな影響があると思われます。しかし一方で、生態系が保つ全体の利益のほうが、個体の利益よりも優先されることが、果たしてありうるのだろうかとも思うのです。

養老 生態系に、全体としてそうなっていないと困るという状況がないわけではないけど、解釈の問題になってしまうので説明するのは難しいでしょうね。

 昆虫の世界は仕組みが簡単で、個体数が増え過ぎると餌が不足して個体が死んでしまうので、通常は個体数が抑制されるようになっています。

宮崎 ウイルスも、感染力が強過ぎるとヒトなどの宿主を殺してしまい、結局みずからも生きられなくなるので、強力なウイルスは長くは存在できないという理論があります。だから個体数の抑制の意味は見出せます。でも、ネコ科の個体は、腎不全にならず寿命が延びることは利益でしかないはずなのに、どうしてそういう進化をしないのかなと。

養老 寿命に制限がかかることにより、ネコが楽に餌を得られる行動範囲で落ち着いていられるようにできているのかもしれませんね。ある個体が早めに死ねば、その地域のほかの個体は餌を得やすくなるといった具合に。個体の寿命は周囲の状況次第のところもありますから。

構成:漆原次郎/撮影:榊智朗

 

(『中央公論』2021年7月号より抜粋)

中央公論 2021年7月号
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養老孟司(解剖学者)×宮崎 徹(東京大学教授)
◆養老孟司〔ようろうたけし〕
1937年神奈川県生まれ。東京大学医学部卒業。67年同大大学院医学系研究科基礎医学専攻博士課程修了。東京大学助手、助教授を経て、81年より教授。95年に退官。著書に『からだの見方』(サントリー学芸賞)、『バカの壁』(毎日出版文化賞特別賞)ほか、近著に『AIの壁人間の知性を問いなおす』、『虫は人の鏡擬態の解剖学』『養老先生、病院へ行く』など。

◆宮崎 徹〔みやざきとおる〕
1962年長崎県生まれ。1986年東京大学医学部卒業。88年同大大学病院第三内科に入局。熊本大学大学院博士課程修了。92年より仏パスツール大学研究員、95年よりスイス・バーゼル免疫学研究所主任研究員、2002年より米テキサス大学准教授。06年より現職。タンパク質「AIM」の研究を通じてさまざまな現代病を統一的に理解し、新しい診断・治療法を開発することをめざしている。
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