ネコの寿命が延びるAIM創薬 養老孟司と免疫学者・宮崎 徹が語る老いと病

大の愛猫家としても知られる解剖学者の養老孟司さんと宮崎教授が、ネコと病気について、また老化のメカニズムについて対談。
どうしたらネコを長生きさせられるのか――。(『中央公論』2021年7月号より抜粋)
昔は多様性に富んでいた東大教授
宮崎 私は一九八六年に東京大学医学部を卒業し、医学部附属病院の内科で研修医、その後九二年まで、第三内科の医局員でした。養老先生が東大医学部の教授になったのが八一年で、退官されたのが九五年。ですから、私は東大にいる間、常に先生の姿を見ていたのです。学部時代に出入りさせていただいた山内昭雄教授の研究室も先生の部屋の隣でしたし、解剖学の講義を受けたりもしました。
養老 そうでしたか。
宮崎 養老先生をはじめ、さまざまな教授の姿を思い返すと、何と多様性に富んでいたことかと思います。養老先生には「物静かな先生」という印象を持っていましたが、その物静かさもまた独特な感じで。山内昭雄先生も、東大の銀杏並木がまさに似合うような、文化と教養を感じさせる先生でした。身近な助手の方を含め、誰もが科学に憧れを持たせる雰囲気を醸し出していたように思います。
いま、私が東大教授の立場となってみると、そうした教授たちの個性が薄れてしまっている気がします。
養老 東大はそうなってますか。大学も「システム化」しちゃったということなんでしょう。人の暮らし方全体が、判で押したようなものになっている。
「グローバル」という名の嘘
宮崎 フランス、スイス、アメリカで約一五年間研究をして、二〇〇六年に再び東大に戻ってきたのですが、海外と東大とで明らかに景色が異なる点があるのに気づきました。東大の先生たちは、廊下や広間で科学について立ち話するようなことがないですね。
養老 海外だと、例えばイギリスでは「お茶」の時間を大切にしていますね。午前も午後もお茶を淹れて、他分野の先生から研究の話を聞いたりしている。
宮崎 私もテキサス大学の准教授時代、研究に行き詰まっていたときに、専攻する免疫学ではない、脂質学の研究者と立ち話をして、「マウスを太らせてみたらどう」とヒントをもらった経験があります。「自分の専門はこれだから、ほかの分野に首を突っ込まない」という縛りが欧米にはないのですね。でも、東大にはそれを感じてしまう。
養老 だいたい日本はまじめ過ぎるんですよ。分野ごとに分けなければならないシステムになっちゃってる。医学では、臓器ごとに分野を分けるのは簡単なやり方だけれど、僕なんかは野生動物を扱っていたから、臓器ごとの区分なんて当てはまらない。「心臓や肝臓が専門です、ではなく、トガリネズミが専門です」ってなっちゃう。
宮崎 自分の研究が何かの分野に分類されていないといけないような窮屈さは、日本に戻ってきてからずっと痛感してきました。年長の研究者からも「宮崎くん。他人の仕事に口を出してはならんよ」と言われたりして。この窮屈さは、海外ではあまり感じなかったのですが。
養老 日本は人が立て込んでいるせいじゃないかっていう気もしますね。日本で「過疎地」と呼ばれるところの人口密度でも、ヨーロッパでは普通だったりする。そのくらい日本の社会はぎゅうぎゅう詰めなんですよ。「過疎地」くらいでちょうどよいのではないですか。
宮崎 なるほど(笑)。外部から入ってくると、「なぜ、そんなことしなければならないのか」と思うようなことを強要され、違和感を覚えたりもします。こういったしきたりは、今後変わっていかないのでしょうか。
養老 ぎゅうぎゅう詰めであることが根本の原因とすれば、そこが変わらないかぎりは変わらないでしょうね。
宮崎 自分たちのやり方は墨守しながら、それ以外では、建前的に「グローバル」とか「分野横断」とか、よく言うなあと。
養老 あれはもう完全に嘘ですね。自分たちのことにしか眼を向けていないのに。だいたい、メディアが日本人に向かって日本語で「国際化」なんて書いても、なんの説得力もない。二つの分野をつないで何かしようとする話もよくあるけれど、結局どっちかに片寄っちゃう。それも、学問的な理由ではなく、どっちの方が出した人の数が多いとかいった人間関係的な理由でね。