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鈴木涼美 不相応な値段がつけられた女子高生は、その無意味を証明したかった(橋本治『桃尻娘』を読む)

第2回 無敵だったココロと冷めた見解(橋本治『桃尻娘』)
鈴木涼美

若さを生きる――その滑稽さと不安

 その、あらゆるものをキモいとかウザいとか言って蹴っ飛ばす気概と、反面なんだか白けた気分とを持て余していた頃、私がほとんど唯一、私たちについて書いてある、と思って愛読していたのが橋本治『桃尻娘』でした。そこにある言葉は、作家の属性を調べれば明白ですが、私たちの中から発せられたわけでは全くありません。橋本治はギャルじゃないし、時代も立場も違いますが、この居心地が最高にいいようでいてどこか他人事に思えるような、若い女という事態が、本来的にどういうものなのかということをこれほど雄弁に語る言葉を他に私は知りませんでした。

 「大きな声じゃ言えないけど、あたし、この頃お酒っておいしいなって思うの。黙っててよ、一応ヤバイんだから。」という、有名な文で始まるこの本の主人公は榊原玲奈という女子高生です。自分が自殺した場合の新聞記事を妄想して、「あたしが何故死んだかっていうと、『思春期の』『多感な』『傷つきやすい』そんでもっても一つ『不可解』付きの『少女』の『感受性』だわ。キャーッ! 『感受性』だって、ウッウッウッ......泣けるったらないわァ、あたしの『感受性』もお安く見られたもんよねぇ、アーア。」と言ってみるくらいは、自分という若い女に付随する意味に自覚的です。「あんな駅前の喫茶店にたむろって煙草ふかして、『ジョシコオコオセイ』って書いてあるチョンバッグ抱えて、中から『売春』を取り出して見せるなんて、そんなオリジナリティのない事、あたし堪えらんない。」「あたし達はこんな見えすいたことやっちゃいけないと思うの。事件なんか何も起んないのよ。そりゃ第三者には事件が起った方が受験体制のひずみで楽しいでしょうよ。」と、若い女につけられた凡庸な価値にもそれなりに中ゆびを立てて見せます。そして時々、「あたしはまだ高校生なのよ、不貞腐れてる自由も権利だってあるのよ。」と甘んじているふりをして面倒を棚上げにします。

 この、達観しても嫌味にならないフレッシュネスや、傍若無人が様になる無敵な気分と、どうせ私には世界を変える力なんて別にないという絶望の、絶え間ない反復こそが若さを生きるということです。だって女子高生なんて、携帯電話の契約一つ1人じゃできない無力な存在で、そんな存在が世の中全ての頂点に立って大いなる価値を持っているなんて、考えてみればおかしいわけで、問題は今時の若い女は、その圧倒的な矛盾に気づく程度には賢くなってしまっていること。私たち最高っ! と戯けてみるのは楽しいけれど、背後から自分の知性が、そうじゃないってわかってるくせに、とツッコミを入れます。この反復は、思い返せば眩く、外から見ればあどけなく、しかしやはり中から見ると滑稽で、滑稽なぶん身の置き所のない不安と隣り合わせです。

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