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鈴木涼美 本能が壊れた後に、男女の性は分かりあえるか(岸田秀『性的唯幻論序説 改訂版』を読む)

第5回 たかが一度や二度のセックス(岸田秀『性的唯幻論序説 改訂版「やられる」セックスはもういらない』)
鈴木涼美

男の性的興奮を解体する

 岸田秀『性的唯幻論序説 改訂版』の中に、「わたしも、昔、大学の講義で『強姦されそうになったら、股を広げてニタニタ笑い、はい、どうぞ、しっかりがんばって、と言えばいいんじゃないか。そうすれば、男はペニスが萎えて強姦できなくなるんじゃないか』と言ったことがある」というくだりが出てきます。岸田は松浦理英子の「フェミニストも、レイプは女性に対する最大の侮辱であるなんて言わないで、(中略)そんなことは何でもないって、もっと言っていくべきだと思う」という言葉も引用し、「強姦する男が興奮する条件である、女を侮辱しようとする狙いをはずすこと」について考えます。当然、岸田秀の言葉も松浦理英子の言葉も、強姦男を擁護するものではなく、強姦男の性質と狙いを逆手にとって、そのプライドをへし折る理屈として編み出されたものです。女のこちらからすると、男が何に欲情するかなんて知ったこっちゃないと一蹴してしまいたくもなるのだけれど、男の性的興奮を解体することは彼らを興奮させることもできるし、その興奮をへし折ることもできるという意味で、結構意味があるんじゃないかと思う所以はこういうところにあります。

 1999年に刊行された「性的唯幻論序説」を、約10年後に時代の変化を念頭に加筆する形で紡がれた同書は、わたしがからきしワカラナイと匙を投げた、その男女双方の分かり合えなさが、どうしてそのようであるのか、と考える際に支柱となるような本です。この本の前提は、「人間は本能が壊れた動物である」ということで、「性にまつわるいっさいのことは本能ではなく幻想に基づいており、したがって文化の産物であって、人間の基本的不能を何とかしようとする対策またはその失敗と見ることができる」という立場に立って、売春、強姦、女性の商品性、ポルノ、愛と性の分離、ひいては性差別(女性差別)を広く解説します。読者は、分かり合えなさを支える非対称性と、「やられる」側としてなんだか一方的に差別されているような女性の不利条件を、「本能が壊れた」人間の、男女が全く対等ではないセックスを起源として学び直していくことになります。売春や従軍慰安婦や強姦まで時に正当化する「男の本能」論理の欺瞞も改めて指摘されます。

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