新書大賞2022大賞・小島庸平先生 講演動画を公開中!

鈴木涼美 オンナノコとオンナの間にある、センシティブで荒々しい時間(『"少女神"第9号』を読む)

第6回 女の子の殻をさらに包む強力な殻(フランチェスカ・リア・ブロック『“少女神”第9号』)
鈴木涼美

あんなに楽しくて眩い時間

 身体が完全に自分のものになっていく過程にいるオンナノコたちは、不安なのに傍若無人で、傍若無人なのに傷つきやすく、傷つきやすいのに人のことも自分のことも平気で傷つける厄介な存在です。大人になった今では絶対しないような危険なことをこれでもかと言わんばかりにして見せては、ワタシまだ大丈夫と言いたがり、その割には、大人になってみれば大して苦痛に思わないようなことも時に命をかけてまで拒絶します。後からバカだったなとか、苦しかったなと思い返す人も多いのでしょう。でも思い返してみれば、あんなに楽しくて眩い時間は他にないし、多分これからの人生で再び経験することも叶わないとも感じます。

「少女神〜」に登場するオンナノコたちの多くは、何かしら人と違った環境にいたり、特別な痛みを持っていたりします。母親が自ら命を絶ってしまったり、父がいなくて二人のママと一緒に暮らしていたり、いじめられていたり、ゴミ溜めみたいな街や美しいものが何もない場所に住んでいたり、父親がガンだったり、大好きなボーイフレンドが本当は男の子が好きなんだと分かったり、父が死んだ後は母と母がその夜に連れてくる恋人と暮らしていたり。マンハッタンでの愉快な暮らしを気に入っていることもあれば、高校卒業で何より開放的な気分になることもあれば、親友と作ったミニコミ誌が好評で有頂天になることもあります。でもまた次の瞬間、小さな退屈や絶望、鋭い痛みが押し寄せて、心はとても忙しない。まさに、オンナノコである自分の身体からオンナやオトナを生み出す直前のようです。それまで「二人のママ」ととても仲良く面白おかしく暮らしていたオンナノコもある時、「ふいにアナスターシャとイジーのことが自慢でも何でもなくなった。それどころか、はずかしくなってきた」と感じるようになりました。

 それぞれの悩みは一つではなく、複数の困難が複雑に絡まり合っていて、一つの痛みがもう一つの痛みのせいのように思えることもあれば、一つの痛みさえ無くなれば他の痛みも無くなるのではないかと思えることもあります。プロム(ダンスパーティー)で踊った直後に一人のオンナノコは、ずっと親友になりたいと思っていた女友達の隣で親友について考えながらこんな風に思います。「お父さんが病気じゃなかったら、せめてレナードが唇にキスをしてくれてたら、あたしはそんなに気にならなかったかもしれない」。

 アドレッセンスの只中にいる人も、かつてその中で足掻いていた人も、痛みがそう単純ではないこと、そう単純ではないことがもどかしいことをよく実感しているかもしれません。私自身、とても若い時には、他の悩みをペンディングにできるくらい、大きな困難があればむしろ自分はシンプルに生きられる、と捻れた考えを持っていました。でも、大きな痛みがあったとしても、実際は細かいところもそれぞれ絡み合って、絡み合ったところが軋んで痛いのかもしれません。一つの悩みが解決したところで、ノットが解けるように物事がシンプルになっていくことなんてないのかもしれません。

1  2  3  4