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鈴木涼美 無駄を排除し、意味のある行動で全ての時間を埋め尽くしたその先に待つもの(ミヒャエル・エンデ『モモ』を読む)

第18回 若さも90年代も空っぽだったと皆言うけれど(ミヒャエル・エンデ『モモ』)
鈴木涼美

世界を救う――孤独で、絶望的で、辛い闘い

 時間について考えることは人生とその終わり、つまり死について考えることだから、時短や効率という、いかにも死までの時間を引き伸ばしてくれそうな言葉は、時に人をくるわせるほど魅力的に響きます。「後悔のないように」「非生産的だ」「充実した時間」「意味のある行動」など、ちょっとスマホを撫でればすぐに見つけられる文句は、いずれも時間についての恐怖心や焦燥感を煽る効果があります。それは、酔っ払って大して好きじゃない男と大して楽しくもないセックスなんてして気だるく迎えた朝や、あと1万円入れたら出るかもと思って結局パチンコ店の閉店時間まで粘った後の帰り道にはとりわけ、ものすごく身につまされる、麻薬のような言葉になります。

 全てが今に繋がったというような綺麗な話にしてしまえればいいけどそういうわけにもいかないし、私は意識の特別低かった者として、全ての無駄が意味のあるものだなんて思ったことはないし、後悔してないことよりも後悔していることの方が多いアドレッセンスだったし、無駄にした時間を取り戻したいと考えたことがないわけじゃないけど、それでもそういう馬鹿みたいな時間も含めた生活だからこそ、死ぬまでは生きていられるのかもしれないとも思うのです。だから、意識が高いという言葉には、ちょっとした敬意と軽い窒息を感じます。意識が高いと巷で言われている事態は、おそらく時間の無駄をなるべく排除した状態のように推測するからです。全否定するわけではないけれど、それを「高い」行為であると考えを固定してしまうと、意味のある行動で全ての時間を埋め尽くせるようにはできていない私たちは、常にそこはかとない自己嫌悪と生きづらさを感じなくてはいけない気がします。
さて、モモはマイスターと時間について話すことで、物語の中では「灰色の男たち」を出し抜いて世界を救い、読者の私には時間について幾つかの気づきを教えてくれる存在でした。モモが盗まれた時間を解放したことで、大都会の人々は再びゆったり愛情を込めて働き、子どもたちは道路で遊ぶようになります。ただ、彼女が世界を救う過程は平坦ではありませんでした。彼女がマイスターから学んだことを話そうにも、時間を取り戻す前の人々は彼女の親友だった人も含めてあまりに忙しく、彼女の話を聞く時間を確保できないからです。彼らにとっては今目の前にある仕事を必死に終わらせ、仕事に成功し、立派になることだけが大切ですから、モモと話をする時間は意味のない無駄なものとして排除されていたのです。もちろん、これは「灰色の男たち」がモモに邪魔されないように巧妙に仕掛けた罠でした。誰にも相手にされなければモモは孤独に堪えきれなくなるだろうと予測したわけです。

 世界で今現在良しとされている方向に疑いを投げかけること、世界の流れに抗うこと、善悪の基準を問い直すことが、いかに孤独で、絶望的で、辛く大変なことであるか、私たちは感覚として知っています。だからつい、世間がそういう風なのであれば、それに逆らわない態度を身につけてしまいます。でも、モモが孤独に絶望して、支配的な善悪の流れに身を任せていたら、大都会は怒りっぽく、常に急いだ人たちしかいないまま動かなかったわけです。「そういう時代だから」「今はそういうのは許されないから」と、いつだって何かのきっかけで変化しうる善悪を、まるで疑わずに孤独を免れる態度は、自分らが思っているよりずっと罪深いのかもしれません。

モモ

ミヒャエル・エンデ(大島かおり訳)

岩波書店

鈴木涼美
1983年東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。修士論文が『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』のタイトルで書籍化される。卒業後、日本経済新聞社を経て、作家に。著書に『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』、『おじさんメモリアル』『オンナの値段』、『ニッポンのおじさん』、『往復書簡 限界から始まる』(上野千鶴子氏との共著)、最新刊に『JJとその時代』。
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