鈴木涼美 死に過剰な意味と恐怖を見出すことから少し離れて生きていく(宮崎駿『風の谷のナウシカ』を読む)

最終回 半分腐った世界でナウシカになれるわけもなく(宮崎駿『風の谷のナウシカ』)
鈴木涼美
『風の谷のナウシカ』(宮崎駿著/徳間書店「アニメージュコミックス ワイド判」)
キャバクラやアダルトビデオなどの「夜職」、新聞記者という「昼職」、両面から社会を見つめた作家・鈴木涼美さんの書評エッセイ。一日一日を生き延びる糧となった作品を紹介していきます。
今回は、1982年に連載を開始して94年に完結、劇場版アニメも大ヒットした宮崎駿による漫画作品『風の谷のナウシカ』を取り上げます。

ポルノ業界を去ってオーストラリアに渡ったマネージャー

 AV女優時代、私には歴代3人のマネージャーがいました。プロダクションの社長は厳しい人で、メーカーでの面接や撮影などでAV女優が下着を脱ぐ必要がある時には、マネージャーは必ず退室し、当の女優の裸体を見ないようにしなくてはならないという規則がありました。AV女優としては別にそこで撮影された裸体は今後全国の書店やレンタルビデオショップに並び、不特定多数の人の目に晒されるのに変なの、と思っていたけど、今思えばだからこそ、自分の裸が誰の目にも無料で晒されて当たり前の無価値なものだと感じないために、必要な規則だったのかもしれません。1人目のマネージャーはその規則の禁を何度も破っているのが社長の耳に入り、クビに近い形で辞めてしまい、2人目のマネージャーは何の前触れもなく突然姿を消しました。

 3人目のマネージャーは、最初の2人に比べると業界キャリアの長い、ベテランマネージャーで、過去には他の事務所で有名AV女優の担当などをしていたこともある人でした。私はすでにメーカー専属契約のない落ち目の企画単体女優で、大学院に入るタイミングで業界からは足を洗おうと思っていた頃で、彼と会うのは月に数度、撮影の仕事がある時だけでしたが、割と仲が良く、たまに仕事と関係のない相談で電話がかかってきたり、お互いの恋人の愚痴を聞いたりすることもありました。そんな彼が、オーストラリアに木を植えにいく、と言いだしたのは、ちょうど私が引退するタイミングで、転職するための体裁の良い言い訳なのかと思ったら、本当にその直後にポルノ業界を去ってオーストラリアに渡ってしまいました。

 南の島に移住したい、とか、都会の喧騒を離れて田舎で暮らしたい、とかいう願望は、何もポルノ業界に限らず、スピーディな都市生活や仕事に疲れた人の口をついて出るものです。終わりなき日常を生きる現代人が、次々に降り掛かってくる猥雑な仕事を全て投げ出して逃げたくなったり、トラブルや悩みを全て忘却してリセットしたくなったりするのは取り立てて不思議なことではありません。そして当然多くの場合には口にするだけで実現する気はないのだけど、一時期の夜の業界では振り切ったように極端な形で実現する行為が流行し、私のマネージャーもそんな流行に乗った1人でした。極端に人の汚れの目立つ場所にいると、極端に人の汚れがなさそうな場所に引き寄せられるのかもしれません。

 私は長く、彼がその後どうしたのか知らなかったのですが、10年近く経った後にたまたま共通の知人と話した時に聞いてみたところ、オーストラリアで1年間過ごした後に、元気に復帰して別の大手プロダクションで取締役の1人になっているというようなことを言っていました。私は彼と直接話したわけではないから、豪州での生活がどういったもので、彼にとってどんな刺激とどんなストレスがあって、すっかり嫌気が差していたように見えたポルノ業界にどんな気概で戻ったのかなんていうことは詳しくはわかりません。それでも多分、夢想していた大自然での生活が夢想していた通りだったわけはないだろうとか、都会に慣れきった身体で木を植えるような生活は実際は不便や不満が多かっただろうとか、1年間休んだらそれまでのストレスが瑣末なことのように思えたのかもとか、想像していました。

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