鈴木涼美 男性の眼差しで女性を二分する境界線など、器用に行ったり来たりすればいい(サガン『悲しみよ こんにちは』を読む)
なるべく長く気楽さを失わないために
高校に入って、騒がしい夜や無秩序な街を何より必要だと感じていた頃、私はサガンを読むようになりました。それはいかにも青春の、オンナノコの、自意識過剰で思い悩んだふりをしたような時期特有の経験で、長らくその名前のついた本を読むことがなかったのですが、30代になって、『悲しみよ こんにちは』の新訳版を手に取って読んでみると、半分は10代の時と似たような小さな絶望を、半分はその絶望の上に重ねるべき自分の一生への腹づもりのようなものを感じます。二つ別個のように見える女の種類は確かに男性を隔てて可視化されることがあると思うし、私は何も、男の眼差しや色分けを全て拒絶したいなんて思わないけど、どちらにも脆さと眩さと危うさがあるのであれば、なるべく長く気楽さを失わないために、娼婦になったり聖母になったりしようと思うのです。両極に色分けされ、その場に縛ってこようとするような立ち位置は、必ずしもそれを作り出す視線を拒絶しなくとも、裏切ることができる気がします。不可侵と思い込まれているような領域と領域の間を器用に行ったり来たりしてはいけないなんて実は誰も言われたことはありません。
【編集部より】本連載が改題の上、書籍化されます。『娼婦の本棚』(中公新書ラクレ)、4月7日発売です。



鈴木涼美
中公新書ラクレ
発売日:2022/4/7
キャバクラやアダルトビデオなど、夜に深く迷い込んで生きていた頃、闇に落ちきることなく、この世界に繋ぎ止めてくれたものがあったとしたらそれは、付箋を貼った本に刻まれた言葉だった――。母親が読んでくれた絵本の記憶から始まり、多感な中高生の頃に出会った本、大学生からオトナになる頃に手に取った本など、自らを形作った20冊について綴る読書エッセイ。「中央公論jp」の好評連載「夜を生き抜く言葉たち」を、改題の上、書籍化。