平山亜佐子 断髪とパンツーー男装に見る近代史 IS(インターセックス)と思われるお秀、おふじの場合

第三回 IS(インターセックス)と思われるお秀、おふじの場合
平山亜佐子

茶屋の娘と駆け落ち

 男性にも女性にも見える人への蔑称「男女〈おとこおんな〉」が明治初期からあったとは驚きである。
 ともあれ、度々新聞に出て、当時「誰も知って居る」ほどの有名人であるらしい主人公、お秀は、本芝二丁目(現港区芝四丁目、JR田町駅の辺り)の魚屋の娘。
 ちなみに当時同じく芝にできたのが、明治時代の読み物に散見されるセレブ御用達の高級会員制サロン「紅葉館」。鹿鳴館完成の2年前、外国人の接待や財界人の会合に指名され、『金色夜叉』で有名な尾崎紅葉のペンネームの元にもなったともいわれる有名スポットである。残念ながら1945(昭和20)年の空襲で消失し、跡地には東京タワーが立っている。入口に「雑輩入るべからず」と書かれていた紅葉館には、いくら近所にあるとはいえ魚屋の娘お秀が行けるはずもないのであるが。
 さて、お秀のファッションに目を向けてみると、大紋附の半纏、盲縞〈めくらじま〉(藍色の無地に見える細かい縞模様)の股引、腰に締めた三尺帯という完全な男作り、一昔前の植木屋さんのスタイルと言えばイメージできるだろうか。江戸っ子らしい粋な風采である。
 髪も短く散切りで、言葉遣いも男性となれば、遠目には男性にしか見えなかったと思われる。そんな男作りのお秀が、犯罪を犯したわけでもないのになぜ「警察署へ呼出され厚く御説諭」されるのかといえば、前回書いた通り、現在の軽犯罪法に当たる違式詿違条例の62条、「男にして女粧し、女にして男装し、あるいは奇怪の扮飾を為して醜態をあらわす者」の一項にひっかかるからだ。そこそこ有名なお秀であれば当然目に留まってしかるべき。
 しかし、そんなお秀にも恋人ができる。芝神名社(現在、港区芝大門にある芝大神宮)内の水茶屋の給仕女性、お駒である。茶屋の娘に見初められているのだからお秀もなかなか凄腕である。二人の「別〈わ〉りなき中」がどの程度の仲を指すのかわからないが、とうとう駆け落ちにまで至っている。なぜ駆け落ち先が新聞社に漏れているのかは謎だが、近所の目がうるさいため実家を出て新濱町(現芝浦辺り)の理解ある友人宅に転がり込んだのだろう。
 そして記事の最後に急転直下(というのか)、お秀には半陰陽の噂があることが示唆されている。

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