平山亜佐子 断髪とパンツーー男装に見る近代史 新橋芸者、鈴木屋小竹の場合
第七回 新橋芸者、鈴木屋小竹の場合
平山亜佐子
小竹、いよいよ得意になる
平生〈いつも〉は旦那と崇むべき紳士を今日は朋友〈ともだち〉同様にして、君僕と隔〈へだて〉なき挨拶。小竹の身にしては嬉しく、成ることならば此まま男になって、二倍三倍の登録税を払うても鈴木竹吉と戸籍の訂正を区役所に願いたい。軍人入用の今日柄、男が一人殖えれば御国の為めになるべしなど、無駄口叩きながら新宿の汽車へ首尾能く乗込めば、乗合の花見客、目引き袖引き小竹の顔を眺めて、帽子の下から髻〈たぶさ〉を覗き、今の世に男髷とは珍らしい変人、相撲取にしては少し男が好〈よ〉過ぎて指先が奇麗だ、芳野世経〈よしのせいけい〉さんかも知らねど、夫〈それ〉にしてはお年が違う様なり、ハハア読めた、元は薩州の太守島津公爵様に相違ないと、俄かに行儀改めて静粛〈おとなし〉くなるもあれば、隣坐〈となり〉の酔漢〈よいどれ〉は急に都々一を止めて豆鉄砲に驚きし鳩の如し。
小竹、いよいよ得意になって、同行の紳士を呼捨てにするやら、巻煙草を差出して寸燐〈マッチ〉を擦〈す〉らせるやら、已〈すで〉に島津公爵になった気の我儘には、此れで玉代を払うのかとさすがのお客様も持余してぞ見えける。
[注2]芳野世経:1849(嘉永2)年、江戸生まれの政治家。亡くなる1927(昭和2)年まで丁髷で通した変わり者だった。島津公爵も丁髷だったので、小竹が間違われたのもそこからであろう。逆に言えば、1896(明治29)年に丁髷を結う男性は都会にはめったにいなかったのだ。