平山亜佐子 断髪とパンツーー男装に見る近代史 彷徨うアイデンティティ

第十六回 彷徨うアイデンティティ
平山亜佐子

性別適合手術の歴史

 ところが、翌月に同じ雑誌『話』に『明るい家』編集部時代の先輩、原道子の反論手記「貴女は女ではない 佐久間秀佳さんに与うる公開状」が出た。原はその中で、秀佳が松竹蒲田の俳優・城多二郎を実兄と称し、本名は水町で華族の落胤であること、資本金20万円を出して八重洲園の共同経営者になったことなどを語っていたと記している。また、過去に7人の女性と関係があったと自ら話していたこと、そのうちの1人が「秀佳命」と刺青を入れたこと、別の女性に対しては「お前をお嫁に貰ってやるよ」と人前で豪語していたこと、さらに複数の女性から金銭を受け取っていると自慢していたことなども挙げ、「虚言を並べていた」としている。さらに原は、既婚女性と関係を持ち、その夫に警察を呼ばれた際に、「たった二百円位貰ったぐらいで警察沙汰とは、不味い失敗だ」と繰り返していたとも書いている。男性疑惑については、2年前の夏に手術をして男性になったと秀佳自身が語っていたことや、有閑マダムとの性交渉に関する具体的な話を聞かされたこと、銭湯には決して行かなかったことなどを列挙し、「大いに疑問を要します」と結んでいる。
 実際のところ、秀佳が男性か女性か、あるいは性分化疾患であるかどうかは重要ではない。
 ただ、2年前に性別適合手術を受けたことが本当であれば、医学史的に気になるところではある。
 世界初の事例は特定できないが、世界的に有名になったのは、1930年前後にドイツ系ユダヤ人医師マグヌス・ヒルシュフェルトの「性科学研究所」がドラ・リヒター、リリー・エルベに対して行った手術だ。去勢(精巣摘出)、陰茎切除、膣形成などが施された。日本では、1935(昭和10)年2月18日に、女性から男性になったので家督を継ぎたいと訴えた中保美代の裁判が19日付読売新聞の記事になっている。その際、蒲田区在住の執刀医が「男性確認認定書」を提出しているので、国内で受けたと思われる。
 秀佳の場合、本人の主張通りであれば手術は1932(昭和7)年に受けたことになる。当時、日本で実際にそのような医療が行われていたかは確認できない。

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