平山亜佐子 断髪とパンツーー男装に見る近代史 彷徨うアイデンティティ

第十六回 彷徨うアイデンティティ
平山亜佐子
事件を報じる「読売新聞」(1934年6月14日付)
明治から戦前までの新聞や雑誌記事を史料として、『問題の女 本荘幽蘭伝』『明治大正昭和 化け込み婦人記者奮闘記』など話題作を発表してきた平山亜佐子さんの、次なるテーマは「男装」。主に新聞で報じられた事件の主人公である男装者を紹介し、自分らしく生きた先人たちに光を当てる。

火口に飛び込む寸前に保護された2人

 前回紹介した、映画女優の西條エリ子と男装の銀行家令嬢、増田富美子の騒動とまさに同じころ、男装女性と女性2人が心中未遂を起こす騒動が起こっていた。しかも舞台は三原山。ここは1933(昭和8)年2月に女学生が投身自殺をして以来、自殺の名所となっていた。男装、同性心中、三原山と話題のキーワードが揃ったためか、この件も新聞・雑誌が連日大きくとりあげた。

 ことの発端は、1934(昭和9)年6月11日、東京の井の頭公園で若い女性が倒れているのを通行人が発見したことにはじまる。女性は高木千代子23歳。睡眠薬カルモチンの過剰摂取により自殺を図っていた。すぐに病院に運ばれて命はとりとめたが、本人によれば、勤めている喫茶店「八重洲園」の従業員である佐久間秀佳と瀧千代香の2人と三角関係となり、悩んだ末の決行とのこと。ほかの2人は三原山へ心中しに行ったというので、大騒ぎになった。
 3人が勤める八重洲園は事件の約3カ月前にオープンしたばかりの自称「純喫茶の最高峰」。東京駅八重洲口から昭和通りに出た角(現東京ミッドタウン八重洲の東側)に、総建築費20万円をかけて造られた700人を収容できる3階建ての「ルイ王朝式建築」といわれる壮麗な建物だった。一階は英国式調度の並ぶ大サロンと談話室、2階は2人用席、3階はパーティールームとなっており、25人のサービスガールは会社の寮に住んで店に通っていた。オーナーは元印刷屋の片貝純三、震災後にミルクホールを開店して大儲けし、八重洲園の隣りに八重洲軒という大ミルクホールを作った。これも当たっていよいよ純喫茶経営に乗り出したということだった。

 助けられた千代子の証言によれば、もとはレコード係の瀧千代香と揃いの薔薇のブローチをつけるほど親しかった。だが、千代香が男装の佐久間秀佳に夢中になり、ブローチを秀佳に譲ってしまった。ショックを受けた千代子だったが、やがて彼女も秀佳に惹かれていった。そして10日の夜、「3人で苦しむより誰か1人が身を引こう」と話し合い、千代子がその役を引き受ける。翌朝、寮を抜け出して姉に指輪を託し、兄宛てに遺書を送り、井の頭公園へ向かったという。
 一方、秀佳と千代香は11日の朝に品川駅を出発、伊東に1泊して翌日に三原山に着いた。だが、村民に怪しまれて尾行され、火口に飛び込む寸前に保護された。
 秀佳は捕らえられた後、千代香に「帰郷後更に私達の天国に行きましょう」などと言い、自殺をあきらめていない様子だった。ポケットには「天壌は数ある限り星を恋い、われと君とは恋を恋う 秀佳」とする遺書が入っていた。千代香は周囲の人に「私は恋の勝利者です」などと話していたという。

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