小林「武蔵」の「放言」と、大岡「老兵」の復員(下)
【連載第五回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)
戦後に実現した創元社版『中原中也全集』
小林は中原の詩を「創元」創刊号に載せることを最初から考えていたのではないか。そう思えるのは、吉野秀雄の「短歌百余首」の生原稿を図録で見た時だった。吉野の入稿原稿には「創元 三印」とハンコが押されていた。吉野の原稿が三番目だったとすると、その前に入稿されたのは、島木健作と中原中也だったのではないか。
戦後になって、中原中也は読まれだす。大岡昇平が編者となった『中原中也詩集』は、昭和二十二年に創元社から出た。創元社では、昭和二十六年には三巻本の『中原中也全集』を出す。全集刊行が実現したのだ。全集の編集は記載順に、小林秀雄、河上徹太郎、大岡昇平、阿部六郎、安原喜弘、中村稔となっている。しかし、事実上の編集は大岡と中村だった。中村は「世代」の仲間の詩人である。
中原中也は、小林の手を離れ、大岡のライフワークとなる。中也の評伝を書き、角川書店版の全集を作る。その『中原中也全集』(昭和42)の内容見本に小林は執筆しているが、
そこには「創元」に載った「いちぢくの葉」がまるまる引用されている。