「万一有名にでもなることがあれば......」
やはり東京高等学校の同級生だった伊藤夏生宛ての九月二十六日付けの手紙では、「創元」の発刊はいよいよ近づいている。吉田は手紙でさまざまな抱負を述べている。
「「創元」の校正を近く見ることになっています。執筆者は他に青山二郎(梅原龍三郎論)小林秀雄(モーツァルト)で、創作は私と島木健作(未発表絶筆)の由。来月中旬から展覧会をやり又省線全部にビラをはるなどと、相当に力を入れていました。[定価は]八十円か百円位になるそうです。そこで万一有名にでもなることがあれば、誰にも何も喋らぬこと、何も書かぬこと、この二点を今からはっきり心に定めて置こうと考えています。勿論文筆を以て立とうとは決して夢想もしていません。それ以上に自分の生活を持とうと思います。十年位勉強して評論など書くことが出来ようか、と考えています」
志垣宛てに比べると、文筆への野心は収まってきているように見受けられる。なんらかの心境の変化があったか。カソリックの今田健美神父との出会いは、吉田にとって小林秀雄との出会いよりも重い。その今田と会ったのがこの頃である。「戦艦大和の最期」については、志垣宛てでは「戦闘手記」とし、伊藤宛てでは「創作」となっている。吉田としては、その双方の意識があったのかもしれない。これは、臼淵大尉の発言を創作と見るか、事実そのままと見るかにも関わってこよう。