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エイプリル・フール、「戦艦大和」の吉田満に会う(四)

【連載第十八回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

「サロン」と「戦艦大和」をむすんだのは......?

「サロン」編集長は、小林秀雄との接点を持ちかけていた。「サロン」と小林秀雄とでは、まったく接点などなさそうだが、出版の世界は狭いのだから、わからないものだ。「サロン」が「軍艦大和」発表を仕掛けている頃、安吾は発病して、東大病院に入院していた時期だから、安吾と「大和」との接点はなさそうだ。安吾は「軍艦大和」については点が辛い。座談会「人間・社会・文学」(「群像」昭和24・8)では、「ありゃいけない。ダメだよ。それにセンチメンタルだしね」と否定的発言に終始している。

坂口三千代夫人の『クラクラ日記』を読むと、小林秀雄は東大病院に見舞いに行っている。昭和二十四年三月のことだ。

「おかしかったのは、小林秀雄さんがお見舞に見えたときで、持続睡眠療法が終わり、後遺症が未だ残っていて、毎日相当量のブドウ糖を打っていたときだが、彼がドモって思うように口がきけないのにひきかえ、小林さんにベラベラとベランメエでまくしたてられて、数十回も「テメエは大馬鹿ヤロウだ」といわれていたときだった。(略)数十回の「テメエは大馬鹿ヤロウだ」が実は小林さん一流の励ましの文句であった。彼は終始嬉しそうにニコニコとしていた」

 銀座出版社から本を出した小林の知人友人では、アフォリズム集『否定の精神』(昭和24・9)を出した福田恆存と、「新夕刊」の時評をまとめた『我が毒舌』(昭和22・12)の林房雄がいる。林房雄は「サロン」に小説を書いており、昭和二十四年十月号には、「生きていた兵隊」という大作を載せる。挿画は向井潤吉である。六月号での「軍艦大和」推薦文「高い人間精神」では、「アメリカの友よ、この一文を読め。友である。敵ではない!」と呼びかけ、挑発をしている。林房雄が「大和」と銀座出版社をつないだのかもしれない。可能性大だ。

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