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エイプリル・フール、「戦艦大和」の吉田満に会う(四)

【連載第十八回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)
『軍艦大和』
「僕は無智だから反省なぞしない」と語った小林秀雄の戦後の始まりとは。
敗戦・占領の混乱の中で、小林は何を思考し、いかに動き始めたのか。
編集者としての活動や幅広い交友にも光を当て、批評の神様の戦後の出発点を探る。

アメリカの公文書にも残る検閲の経過

 かくて単行本の『軍艦大和』は昭和二十四年(一九四九)八月十日の奥付で発行された。再版は八月十五日、三版は八月三十日、第四版は九月五日に出ている(以下は確認できず)。吉田満の「占領下の「大和」」による経過報告を裏付ける公文書もアメリカには残っていて、江藤淳がアメリカの国立公文書館で発見した。それによると、「サロン」六月号は大衆娯楽雑誌で、発行部数は八万部、五月十日に事後検閲を受けるために雑誌はCCD(民間検閲支隊)に提出された。その時、検閲官の訊問で、銀座出版社が『軍艦大和』を七月十日前後に一万部発行を予定し、しかもその本には文語体の「戦艦大和ノ最期」も併録予定と判明した。その対応措置が昭和二十四年七月一日の「指令」である。

 著者の吉田満は「厳重に譴責されるべき」で、共犯の発行人にも「不都合が起りかねない」旨を申し渡すこと。発行人の責任に於て大幅な削除をすること、検閲措置は口外せぬこと、文語体の出版は許可されないこと、などである。七月五日には吉田満と編集長の「ミズカミ・モトオ」が出頭を命じられ、指令を受けた。吉田の説明の通りであった。江藤は調査の時点では「サロン」の現物を入手していない。「サロン」六月号を見ると、編輯人は水上素夫、発行人は首藤恒、となっている。表紙は岩田専太郎の美人画で、「小説軍艦大和」と大きくある。作者名はなく、「吉川英治、林房雄、小林秀雄絶讃」とある。「巨艦轟沈の真相(堂々百二〇枚)」と謳っている。次のページを開くと見開きで沈みゆく大和が描かれ、惹句が溢れる。

「世界最大の不沈艦はいかにして沈んだか?/沖縄東方海面・天号作戦の暴挙!/それは進歩を否定したものゝ末路であり/軍国日本の墓標である‼」

「生存青年士官が全人類に訴える/血みどろの一大記録小説!」

「泥糊の如き重油の海面....../母を恋ふる叫び/恋人への慕情と祈り/脈々と全篇を貫くヒューマニズムの香気/これぞ敗戦の生んだ慟哭の文学である」

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