「虚心とは何か......」夜通し議論する小林と吉田
吉田満は、吉川英治と小林秀雄には推薦文を貰うために、自ら出向いている。恩人であり、生みの親であるから当然かもしれない。鎌倉の小林の家へは日銀を一日休んで訪問した。喜代美夫人が出て、小林は東京に出ている、帰宅は九時半ごろとのことだった。小林は「私の人生観」の講演筆記に手を入れていて、居留守を使ったのだ。夜になって再訪すると、お詫びに今夜は飲み明かそうとなった。
「ご自身で一升びんをさげてきてお燗をつける。つまみを補給する、それ以外は、徹頭徹尾、議論である。――「大和ノ最期」の末尾に、「虚心ナレ」という表現があった。虚心とは、何か。どうしてそれをとらえるか。「空」というものがある。お前さんには「空」が見えるか。戦死を覚悟した青年が、あとに残す人のために祈る場面を書いている。祈りとは何か。何を、だれに祈るか――ひとつ答えれば、次々と質問が核心に迫ってくる。「お前さんは、こんなことが分らんのか」数え切れぬほどのお叱りをうけて、朝方少しやすんでから、一番電車で東京に帰った」(吉田「めぐりあい」)
「虚心ナレ」という表現は、「創元」第一輯のゲラでは、ラスト近くに出てくる。
「虚心ナレ
死、我レニカカハリナシ
此ノ時ヲシテ不断真摯ヘノ転機トナセ
死、身ニ近ケレバ、死我レヨリ遠ザカルナリ 生全キ時、初メテ死ニ直面スルヲ得ベシ
真摯ノ生ヲ措キテ死ニ対スルノ道アルベカラズ
虚心ナレ」
「占領下の「大和」」では、日銀で最初に会った日に、「末尾の〝所感〟の部分」について指摘されたと書かれている。今回もまた同じ部分について小林は議論を挑んできたのではないか。