<新書大賞2024>大賞受賞『言語の本質』今井むつみ氏、秋田喜美氏インタビュー
今井むつみ氏
――大賞受賞おめでとうございます。どう受け止めていらっしゃいますか。
びっくりですね。この本は自分にとって大事な一冊で、準備期間も長かったですし、高揚感を持って書きましたが、秋田先生と何回もやり取りを重ねたことで、満足のいくクオリティに仕上がりました。本で扱った研究や実験を始めてからは、もう15年ぐらい経っているでしょうか。ある程度まとまって、本が書けるかもしれないと思ったのは、中公新書さんから声を掛けてもらった2017年ぐらいだった気がします。
研究を土台とする学術的な内容だったので、読みやすくなるように、論文の引用は大事なところだけで最小限に抑え、ストーリーベースになるよう気を付けました。いろんな分野の方が書評で取り上げてくださったほか、講演のお誘いやメールでの感想もいただきました。これだけ幅広い層の読者から反響があるとは、予想だにしなかったです。
――研究の面白さはどこにありますか。
私の研究の仕方は素朴だと思います。論文は理論ベースで書きますが、追求するテーマは、もともと直接の経験だったり疑問だったりすることが多い。例えば、オノマトペが言語発達にどういう影響を及ぼすかという研究は、保育園で実験をして子供や保育士さんを観察したことや、乳児用の絵本にオノマトペが多いことが気になったのが出発点です。「どうなんだろう、わからないな」と思うことを実験するので、結果がどう転んでも面白いし、純粋にワクワクします。
同時にそうした疑問が、学会の主流の理論で説明できるのかをずっと考えてきました。例えば、日本語は1個、2個の「個」のように助数詞があるけれど、可算名詞と不可算名詞を区別しません。英語のように、可算のものには「a」を付けるとか、複数形にするとかをしないですよね。「これは水」と「これはコップ」という文を比べると、文法的な構造は同じです。実験では、実際には存在しないことばを作って、それを子供がどう解釈するかをみます。2歳ぐらいの子に牛乳の入ったコップをみせて「これはネケ」と言うと、ネケはコップなのか、コップに入っている液体を指すのか、わかりません。
英語であれば、「This is a neke.」と言ったらコップでしかありえないし、「This is neke.」と言ったらその中の牛乳を指す。必ず判別できるわけです。だから私がアメリカに留学していた当時は、文法的な形が語彙の意味を獲得するうえで大事だという議論がありました。ですが、それは英語を母語とする研究者が、英語を母語とする子供に実験して、提唱したものでした。翻って日本語ではどうかと思い、実験をしてみたという経緯があるのですね。この論文はかなり有名になって、世界中で引用されています。
――今後の研究テーマをお聞かせください。
研究者として明らかにしたいのは、人がどういう風に推論をして学ぶのかということです。その一環で、母語の習得の研究をしてきました。それを『学びとは何か』でまとめた後、『英語独習法』(ともに岩波新書)では、母語と外国語の学習の仕方はどう違うのかを書きました。
もう一つは、学力不振でつまずく子供をいかに手助けするかです。広島県の教育委員会と一緒に取り組んできました。例えば、小学校の5年生で、2分の1と3分の1のどちらが大きいかを答えられない子供が50%いたわけです。結果に驚くのですが、「こんなこともできなくてどうするのか」「努力が足りない」という切り口ではなく、間違って考えるのにはどんな理由があるかを学者としては知りたいのです。
経験に根差した知識やスキーマがあるために、いくら教えられてもそれが邪魔をして、誤解をしてしまったり、違う方向に概念を作ってしまったりするということが発達心理学でもよく言われます。その過程を解明していくプロジェクトをやっていて、すごくやりがいを感じています。
秋田喜美氏
――大賞受賞おめでとうございます。
新書大賞の受賞も、出版されてから1年弱での好調な売れ行きも想定外で、驚いているというのが正直なところです。取っつきづらい本を書いたつもりでいたのですが、様々な方の書評やツイートをきっかけに親しみあるものとして受け入れていただけて、とても嬉しく感じています。
――言葉を獲得していくプロセスについての大胆な仮説を提示されました。
『言語の本質』で語っている「オノマトペによる記号接地」+「アブダクション推論」は、言語進化の一つの仮説であり、一側面でしかありません。他にもジェスチャーなど、いろいろな原因があったうえで言語が生まれていると思うので、言語学者や心理学者の間で、今回の提案を題材としつつ、議論が発展すればいいなと考えています。
――共著ですが、執筆はどう進められましたか。
どの章も二人で書いた部分があって、何度もお互いに質問しつつ、原稿を埋めていく感じでした。叩き台を作る役割があり、前半の1~3章は言語学寄りの硬い話ですけれど、このあたりは私が最初に作って、それを今井先生に軟らかくしていただきました。4、6、7章の発達心理学寄りの話は今井先生が最初に書かれて、それに私が随時少し加筆しました。5章が特に共著性の際立っているところで、ストーリーとしては言語習得から言語進化にいたっているのですが、軸となる部分を今井先生に書いていただき、言語学的な証拠は私が埋めていきました。
今井先生との出会いは15年ぐらい前の学会で、それから先生が主催する研究会に出るようになり、教え子さんと仲良くなりました。ちょうど同世代の人たちで、今も関係が続いています。そのうちに共同研究をしたり、一緒に論文を書いたりするようになりました。そのため、共著のやり方に慣れていた部分があると思います。言語学だと共同執筆は少ないのですが、心理学では一般的で、今井先生は指揮の取り方が特にお上手で、取り組みやすいと感じます。
――日頃の研究活動の楽しさはどこにありますか。
言語はすごく身近で普段から使っているのに、一生かかっても一部しか明らかにできないと思えるぐらい膨大な謎があって、それがまず楽しいです。言語の謎に関する日記を20年ほどつけているのですけれど、どれだけ研究をしても疑問は増えるばかりです。そんな中で言語の法則性を解き明かせたときはワクワクしますし、日本語に見出せた法則が別の言語にも当てはまると、同じ人間だからこその共通性だとわかって、そこにロマンを感じます。
――いま関心があるテーマは何ですか。
大きく二つ興味があって、一つは、同じオノマトペでもどんな声色で発するかによって意味が変わってくることです。例えば、「ひらひらっ」とささやき声で言うと軽い、あるいは弱々しいという情報が伝わると思うんですよね。けれど、「ひらっひらっ」と強めにスタッカートを付けて言うと、リズミカルな舞い方を表せる。ほとんど研究されていないので、ちゃんとやってみたいと思っています。
もう一つは、医療言語のオノマトペを探究しようと思っています。『言語の本質』をきっかけに、医学系の研究者とのやり取りが始まって、一緒に研究することになりました。例えば診療場面で、お腹が「きりきり」痛い、「しくしく」痛いなどとよく言いますが、留学生は違いがわからなくて苦労するんですよね。ただ、お医者さん、あるいは病院によっては、オノマトペはあまり使わないようにしているとも聞きます。オノマトペはもやっとしていて個人差が大きいのではないかと。本当にそうなのかというのが私の疑問で、割と個人差も少なく、正確に情報を伝えられるのではないかと思ったりするんです。うまく使えば、オノマトペはかなり微妙な意味の調節までできるので、医療現場という実社会への貢献ができればいいですね。
〔『中央公論』2024年3月号より〕
「新書大賞2024」上位20冊までのランキングと、有識者49名の講評など詳細は、2024年2月9日発売の『中央公論』3月号に掲載されています。
特設ページでも上位20位までのランキングを掲載しています。
「新書大賞」特設ページ https://chuokoron.jp/shinsho_award/
1989年慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学。94年ノースウェスタン大学心理学部Ph.D.取得。慶應義塾大学教授。専門は認知科学、発達心理学、言語心理学。著書に『学びとは何か』『英語独習法』など。
あきたきみ
2009年神戸大学大学院博士課程修了。博士(学術)。名古屋大学大学院准教授。専門は認知・心理言語学。著書に『オノマトペの認知科学』『言語類型論』など。