母親を壊す「一人ぼっち」症候群

ルポ・子ども殺しの現場から
河合香織 ノンフィクションライター

しつけと虐待の
線引きができない母親

 実際、大阪二児遺棄事件を「他人事とは思えない。明日は我が身だ」と感じている子育て中の母親も少なくない。

「私、虐待したことがあるんです。育児に自信がなくて」

 そう打ち明けた二十代後半の二児の母親。しかし、彼女の話をよく聞いてみると、しつけのために乳幼児の手をやんわりはたいたり、泣いている子どもを部屋に放置して同じ家の別の部屋に自分が行くということを指していた。その時間を尋ねてみると、

「五分間くらい」

 なのだという。これは一般的に考えれば虐待とは言えないだろう。しかし、彼女は虐待してしまったと思い悩んでいる。

「最近は昔と違って学校などでも叩いてはいけないと聞くし、ニュースにもなってる。叩いたら虐待なんですよね」

 もはや自分の基準を見失っているのだ。どこからが虐待でどこまでがしつけかの線引きできない。それだから、夏に暑くても窓を開けることができずに一日中冷房をつけている。近所に虐待していると思われたくないからだ。いつ自分の家が児童相談所に通告されてもおかしくないと怯えている。

 子どもがなぜ泣いているかもわからない。両親も遠くに住んでいるから、教えてくれるのは育児書だけだ。だから、育児書通りに子どもが育たないと不安になってしまう。夫も育児書に書いてあるような「いいお父さん」ではない。話を聞く構えは見せるが、どこか親身さに欠ける気がする。

 東陽町で精神科クリニックを開業する道願慎次郎氏はこう話す。

「子育てうつの母親はかなり多い。仕事でもチームワークではない職種にうつが多いと言われていますが、孤立は人に大きなストレスを与えます。周りの協力を得られないために、今は子育てで孤立してしまうことが増えてきているからでしょう。そしてそのストレスを発散することができずに抱え込んでしまっているのです」

 子育てうつが悪化すると、児童虐待に発展してしまうことも少なくない。あるいは表面化しないようなネグレクトもまた、うつのような病気に起因しているケースが多い。

 さらに、十歳までに大きなストレスに晒されている子どもは、成長後もストレスに弱く、うつになりがちな傾向を持つのだという。虐待が親から子に連鎖してしまうのは、そのような精神面からの問題とも関わっている。

「そこまで悪化する前に、無理をしないで早い時期に休んでほしい。そうすれば治るような方がほとんどです。しかし、休めと言っても、うつというのは休めなくなる病気でもあります。それでもなお、時には他人に頼ったり、休んだりする勇気、白旗をあげる勇気を持つことが大切なのです」

ガダルカナルのように
精神力で勝てというようなもの

 児童相談所の介入を求める声が高まってはいるが、実際は圧倒的に人手不足できめ細かいケアが難しいという問題もある。現在、東京都の児童福祉司は一七二人。そこから地域支援や監督者、子ども家庭支援センターの出向者などをのぞくと、直接、児童相談所で援助をするのは一三〇人程度となる。彼らの新規の案件が一人に対して年間一二〇件にも上る。これ以外に施設や在宅、通所訪問指導などの継続案件も八〇件ほど抱えており、合計およそ二〇〇件を一人が担当するのだ。欧米では一人の担当案件は、新規と継続を合わせて二〇件から三〇件だという。

 そんな児童相談所の負担を軽減しようと、二〇〇五年の改正児童虐待防止法において、虐待の通告先として市区町村が追加された。東京都の場合は、区の子ども家庭支援センターがその役割を担う。都道府県の管轄である児童相談所よりも、市区町村の方がより地域に密着したケアができるかもしれないと期待されたが、これがかえって混乱を招いている可能性も浮かび上がってきた。

 虐待を通告する窓口は児童相談所と市区町村の二つがある。市区町村で虐待通告を受けたもののなかで、対応の専門性が求められるケースは児童相談所に送致されることになる。しかし、そのような二層構造の狭間に落ちてしまい、死に至った子どももいる。本来は児童相談所が担当するようなケースなのに、市区町村が振り分けできずに抱え込んでしまったからである。さらに我々一般の市民も、どちらに通告をすればいいか混乱するだろう。

「国が提示する市町村と児相のマニュアルは似通っている。つまり寄り添うサービスが効果的な低リスクの家庭に対しても、虐待対応とほとんど同じマニュアルを使っているのです。対立的な対応ほど、それだけ職員の負担も増えるのです」

 日本子ども家庭総合研究所の研究員有村大士氏はそう話す。その反省を活かして横須賀市などでは、虐待の通告を児童相談所に一元化する試みがなされている。
 そして、児童相談所が単に強権的な対応を強化することに関しては、有村氏も反対だと主張する。

「強権的な対応の一方的な強化は何も解決しないばかりか、逆に寄り添うべきケースへの対応がおろそかとなり、軽度なケースの重篤化を防げなくなる」

 有村氏は、「大阪の二児遺棄事件でも、それまでに名古屋をはじめとする他の地域でも援助を受けていた。しかし、母親は孤立し、結果として深刻化は防げなかった。日本の多くの地域では、虐待のリスクが低い段階で投入するサービスが整えられておらず、ただ悪化するのを見守るだけになってしまっている」と言う。

 アメリカでは、すでに一九九五年前後に「強権的な対応だけでは、虐待ケースは減らない」という研究が発表されている。通告されたケースのうち、介入後に施設入所などの措置に至るのは一部にすぎない。それ以外のほとんどが「見守り」となる。だが、その見守りも、強権的な対応に追われて手薄になってしまう。短期の対応に集中してしまい、家族に寄り添っていくような長期的なケアは後回しにされがちになる。そうして、不適切な養育がそのまま続けられることになる。それがエスカレートし、深刻な状態に陥り、再通告に至る。死亡事例の多くがこの再通告のケースだという。

 このアメリカのケースは日本にも当てはまるのではないか、と有村氏は危惧する。

「児童相談所の人員を増やさずに四八時間対応をさせるのは、まるでガダルカナルのように精神力で勝てというようなものでしょう。武器も食料もなく、精神力で勝てと」

 児童相談所の対人援助職の職員の四割が一般行政職の公務員である。児童福祉の経験を持たない人間が、いきなり担当になるのだ。

 さらに、乳児の頃からリスクが高いと思われる家庭、たとえば一人親だったり、病気を持っていたり、貧困家庭には、もっと積極的に介入すべきだと話す。

「差別だと言われることもありますが、そうではないのです。むしろ支援が必要な人に、サービスが届いていないことが問題なのです。ある自治体の調査では、相談者のうち実母実父家庭は六割だったけれど、そのうち五、六割が離婚を経験していました。対人関係の生きにくさを親も抱えている。つまり、孤立してしまうリスクを抱えているのです」

 私たちは戦後、血縁や地縁のコミュニティを壊すことを選択してきた。しかし、それではもはや子どもが安全に生き残れない。児童相談所もパトロールするわけではないのだから、やはりコミュニティの協力が必要となる。アメリカのファミリーグループ・カンファレンスなどの当事者参画の仕組みは、仲間になってくれる人は学校の先生や隣人、あるいはバーのオーナーでもいいとされている。インフォーマルな共同体を一度否定したのであれば、簡単には再生できないだろう。そこでフォーマルな力を借りて、あらためて子どもと家族を取り巻く、ゆるやかな形の共同体を作っていこうというのだ。

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