サラリーマン定年後の悲劇は「男」という性の宿命である

渡辺淳一 インタビュー
渡辺淳一

サラリーマンの隠れた悲劇性

─新作『孤舟』では、定年退職後の、厳しく、寂しい初老男性の生きざまが非常に鮮明に描写されていますね。

渡辺 今度の作品は、いわゆる男女の関わりや恋愛ではなく、「定年を迎えた男を待ち受けている老後の大問題」を主なテーマに据えました。
 サラリーマンの男は六十歳になると、突然、「定年」を突きつけられます。つまり会社から「明日からは来なくていい」と言われるわけですが、それが一体何を意味しているのか。このことについて一人でも多くの人に真剣に考えてほしかった。もちろん「妻とのすれ違い」や「デートクラブを通じて出合う若い女性との淡い恋愛」といった内容もストーリーに盛り込んではあります。しかしそれだけではなく、もっと広く社会小説のつもりで書きました。

─『孤舟』というタイトルがとても印象的ですが、定年後の男性は、まさに「孤独」と向き合うことを余儀なくされているわけですね。

渡辺 一見すると、サラリーマンというのは、大都会にある洒落たビルで仕事をしている「近代産業時代のエリート」であるかのように見えます。実際、戦後まもなくの頃は、「あこがれの職業」でもありました。

─確かに、収入も安定していて、大企業ともなれば、福利厚生や企業年金などさまざまな保障が付きますしね。高度成長期には「サラリーマンは気楽な稼業」とも言われていました。

渡辺 しかし実態はそんな単純なものではありませんでした。サラリーマンという職種には、しかるべき年齢に一方的に職を追われるという恐ろしい悲劇性が隠されていたのです。
 サラリーマンという職種が日本で確立したのは戦後のことです。まだ五、六〇年しか経っていません。それまでは、ほとんどの男は一次産業に携わっていました。農業や林業、漁業を営んだり、あるいは大工になったりして。これらの職業では、腕さえ良ければ、歳を取っても「ベテラン」として周囲から重宝されます。もちろん定年もありません。でもサラリーマンは違いました。サラリーマンは学校を卒業してから数十年間、つまり生涯を通じて一つの仕事に取り組んだとしても、それはあくまで「会社のための仕事」をしてきたのであって、「自分のための仕事」をしていない。だからベテランになれないのです。さらに六十歳になれば、どれほど優秀な技能を持っていようとも、全員横並びでスパッと首を切られてしまう。そして会社から追い出された後には、限りない「孤独」が待ち受けている......。
 日々のテレビニュースや新聞そして雑誌では、政治や経済についてさまざまな問題が取り沙汰されています。しかし、僕が考えるに、今の日本の最大の問題は、「都市生活者の大多数がサラリーマンである」ということです。でもこのことについては、今まで誰も問題にしてこなかったし、もちろん小説にも書いてこなかった。今度の小説では、まさにこの問題点を問い詰めているので、ぜひとも社会問題に関心の高い『中央公論』の読者にも読んでほしいと思います。

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