関心競う経済に振り回されるメディアと私たち 鳥海不二夫

鳥海不二夫(東京大学大学院教授)

非実在型炎上とは何か

 コロナ禍という未体験の状況下で、誰もが今何が起きているのかを知ろうとしている。様々なマスメディアやソーシャルメディアでは多くの言説が飛び交っているが、我々は当然そのすべてを把握することはできない。特に広大なソーシャルメディア空間で行われていることを理解するのは難しいだろう。

 そのソーシャルメディアを発端として生じる社会現象の一つに炎上がある。炎上とは、ある特定の対象について多くの人々が一斉に話題にする現象であり、主にネガティブな意味合いで使われることが多い。

 たとえば、企業の不正や個人の不適切な行動などが明るみに出た場合、ネット上でも大きな話題となり炎上に結びつくことがある。古くはコンビニの冷蔵庫に入ったアルバイトの炎上から、ファストフードチェーンの異物混入事件による炎上まで枚挙に遑がない。また政治的な活動なども、党派性が反対の人々から炎上の対象とされることが多い。

 炎上は「悪いことをしたモノを退治する」というストーリーからなるため、人々にとっては一種のエンターテインメントとして成立しうるコンテンツである。たとえば、異物混入が発覚した企業に対して「管理体制がなっていない」「許せない」などと怒りを発露し、ネット上の言説で叩いても他の人から賞賛されこそすれ、非難されはしない。悪事を行っているモノを攻撃することは正しい行為とみなされるため、炎上に対する加担は正義への欲求を満たし、ネット上で正義を語ることで承認欲求や自己顕示欲も満たすことが可能である。さらに、あまり好意を持っていない巨大企業などに対する攻撃はルサンチマンの発露にうってつけといえよう。

 ソーシャルメディア上で炎上が生じているという事態はコンテンツとして優れているのか、ネットメディアや時にはマスメディアにおいてもネット上の炎上が紹介される。ネット炎上も社会で生じている事件の一つと考えれば、マスメディアで扱われること自体は特に問題というわけではなく、また、それが情報の受け手の興味を引くことは間違いないだろう。しかしながら、炎上事例について分析を進めていると、しばしばネット空間の巨大さを逆手に取ったような炎上が存在することに気づく。それが、「非実在型炎上」である。非実在型炎上とは何か、その典型といえる二〇二〇年四月にあった「東京脱出タグ」を例に説明しよう。

 二〇二〇年の三月後半から四月初旬にかけて日本は緊急事態宣言が発せられるかどうかの瀬戸際にあり、多くのメディアが新型コロナを扱っていた。そのような中で、二〇二〇年四月七日に『朝日新聞』が「『東京脱出』SNS拡散中 新たなクラスター生むおそれ」という記事を公開した。この時期は東京で感染が拡大しつつあったものの、未だ感染者の出ていない地方も多かったため、東京から地方へ移動することで感染が拡大する危険性に注意喚起を行う記事で、その中で「『東京脱出』というハッシュタグ(検索ワード)が拡散されている」と述べている。同時に朝日新聞デジタルがツイッター上にも当該記事を紹介する投稿を行った(図1)。

図1_朝日新聞デジタルによる2020年4月7日のツイート.jpg【図1】朝日新聞デジタルによる2020年4月7日のツイート

 また、当該記事を受けて「東京から地方へ移動しようとしている人たちがバスタ新宿に集まっている」という記事もスポーツ新聞に掲載され、東京脱出の問題が大きくクローズアップされた。

 では実際、どの程度の「#東京脱出」タグが存在したのだろうか。

図2_「#東京脱出」のツイート数.jpg【図2】「#東京脱出」のツイート数

 図2は、「#東京脱出」が含まれるツイートの数を日ごとに集計したものである。ただし、リツイート(他のアカウントのツイートを拡散したもの)は除いている。これを見る限り、このニュース記事が公開されるまで「#東京脱出」というタグが使われた形跡はほとんどない。二月一日から四月六日までに投稿された「#東京脱出」というタグはわずか一一六件であり、そのほとんどが東京脱出を批判するツイートであった。実際に脱出を示唆しているツイートはわずか六件である。

 一方、本記事が出てから四月末までの間に八九四八のツイートが投稿され、その多くは東京を脱出する人々への批判であった。

 このように炎上はしているものの、炎上の対象が存在しないものを「非実在型炎上」と呼ぼう。コロナ禍の一年間に日本のツイッター上では様々な非実在型炎上が観測された。たとえば、二〇二〇年四月に放送されたアニメ「サザエさん」は「サザエさんがGWに動物園に出かけた」という内容だった。「その内容が不謹慎だと炎上」したと報じる記事が出たのだ。実際には内容が不謹慎であるというツイートは二〇件にも満たない数であり、「不謹慎と炎上」したとはいえない。

 これら非実在型炎上の特徴は、「こんなツイートが拡散!」という記事によって、人々に批判や共感といった感情をもたらし炎上している点にある。たとえば、「#東京脱出」であれば「東京脱出などと言って地方にコロナウイルスを広めるなんて利己的だ」という批判を多数生み出した。あるいは、「サザエさんの内容が不謹慎」という例であれば、それに対して「アニメにまで自粛を求めるのか」というツイートが多数投稿され、批判そのものが炎上した。通常の炎上であれば、炎上の先には個人や組織が存在し、それらへの攻撃ともなりうる批判が多数投稿されている。だが、非実在型炎上の場合は批判の対象が(ほとんど)存在しないため、炎上の被害者がいない、あるいは極めて少ない状態といえる。

 一方で、被害者が少ないからといって問題がないわけではない。非実在型炎上が社会に大きな混乱をもたらした例としては「トイレットペーパー不足デマの拡散」がある。

 これは、二〇二〇年二月に発生した非実在型炎上である。一般にこの時は、「トイレットペーパーが不足するというデマが拡散したことで、トイレットペーパーの買い占めが行われた」と言われている。しかし、その実態はもっと複雑だ。そもそも「トイレットペーパーが不足する」というデマはほとんど存在していなかった。にもかかわらず「デマが存在する」「デマに注意しよう」という多数のツイートや報道がなされ、「そうしたデマに踊らされる人たちによる買い占めが生じるかもしれない」という疑心暗鬼から買い占めが広がる事態を招いた。つまり我々は、非実在型炎上が原因のありもしないデマに振り回されていたといえる。

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