たばこ税増税をきっかけに考える喫煙者と非喫煙者の摩擦。「感情論」と「勘定論」に分けることが重要 二宮清純
(『中央公論』2021年11月号より)
- たばこ税の使い道を明確にしたほうがいい
- 喫煙者と非喫煙者がぎすぎすしないように
- ゼロサムの風潮が強い時代だからこそ
たばこ税の使い道を明確にしたほうがいい
10月1日からたばこ税が増税された。賛否はあるだろうが、私は、たばこの税金は欧米並みに高くしてもよいと思っている。少々たばこの税金を高くしても、その税金がどこに使われているかをはっきり見えるようにすることのほうが、喫煙者と非喫煙者の共存に繋がると考えるからだ。
少し古い話になるが、1969(昭和44)年に美濃部亮吉都知事が、東京都の公営ギャンブル全廃を宣言したことで、都は競輪・競馬・競艇・オートレースの全ての事業から撤退することになった。しかし、その収益は、教育文化・医療・社会福祉などの充実、具体的には、学校や病院などの建設にも役立っていたのだ。
このことがわかっていないと、ギャンブルは子供の教育に悪いとか、生活環境が悪くなるなどと一方的に批判されることになる。もし、競輪場からの収益が学校や病院などの建設にも役立っていたとわかれば、周囲の反応も多少は変わっていただろう。結局、撤退によって都の収入は大幅に減少した。
分煙環境やルールの整備も必要
同じようなことが、現在のたばこにも言えると思う。ただし、たばこの場合は、吸う人自身の健康もそうだが、副流煙が大きな問題となる。特に子供や呼吸器疾患のある方には深刻だ。副流煙の対策としては、当然、しっかりした分煙が必要だが、そのためにはお金もかかるはずだ。
もちろん、喫煙のマナーが良くない人は論外だ。ポイ捨て火事や、手に持ったたばこが子供の目の前に来て危険な場合もあるから、そういうことのないよう周知徹底させる必要があるのは言うまでもない。
いや、火災を招いたり、子供の安全が損なわれたりすると判断した場合、もう少し厳しいペナルティがあってもいいのではないか、とすら思う。これはマナーの範疇を超え、ルールの問題であるからだ。
また、新型コロナが落ち着けば、インバウンドの観光客が戻ってくるはずで、当然、なかには喫煙者も多いだろうから、どこにいけば喫煙できるかをわかりやすく表示しておくなどの対策も必要になるだろう。