能町みね子「白鵬の14年 栄光と意図せぬ対立」

国籍、家の事情、世間の風潮に翻弄されて
能町みね子(文筆家・漫画家)

最初は"正統派"として

 白鵬は先に横綱として君臨していた朝青龍(あさしょうりゅう)に追いつく形で2007(平成19)年5月場所後に横綱に昇進した。当時の朝青龍は明らかに"ヒール"であり、そのとき白鵬はいかにも朝青龍に対抗する"正統派"として登場した。

 しかし、私は当初から、白鵬を"正統派"とは思っていなかった。

 私が白鵬を初めて強く意識したのは、彼が19歳の若さで幕内に昇進した04年5月場所にさかのぼる。その場所は、全盛期の朝青龍の連勝を35で止めた西前頭筆頭の北勝力(ほくとうりき)が大活躍していた。北勝力はそれまで三役に上がったことがない比較的地味な力士だったが、この場所は絶好調で、14日目を終えて13勝1敗。あと一つ勝てば初優勝という、力士人生に二度とないチャンスを迎えていた。

 その北勝力と千秋楽に対戦を組まれたのが白鵬であった。こういう期待度の高い取組では、多くの相撲ファンは、どちらが勝つかということ以上に「魅せる相撲」を望む。押し合い、組み、寄って寄られてという攻防のある相撲――あるいは、片方の力が相手を凌駕しており、圧力に相手が降参してしまうような相撲――そういったものを望む。

 しかし、若い白鵬はそれを選ばなかった。白鵬は立ち合いでなかなか手をつかずに北勝力をじらし、集中力が切れた北勝力が低く立ったところを左にかわし、駆け引きで勝ったのだった。魅せる相撲ではなく、勝つ相撲を優先。正直言ってこの北勝力―白鵬戦に私は興醒めし、しばらく白鵬にいい印象を持てなかった。しかし、19歳という若さで、経験に勝る先輩に気後れせず、何より勝つ相撲を選ぶ胆力、そこにはやはり特異なものがあった。

 また、横綱昇進後の08年5月場所、朝青龍と白鵬が土俵上で勝負がついた後にあわやケンカかという事態になったこともあった。朝青龍が白鵬を引き落として勝ったあと勢い余って背中を下に押しつけると、カチンときた白鵬は起き上がって仁王立ちして詰め寄り、勝負後の土俵上に緊張感が走った。

 このとき世論は、例によって朝青龍が品のないふるまいをしたという論調だったが、北の湖理事長(当時)は「朝青龍のダメ押しは、確かに勢いというものがある。しかし、白鵬の行為はいただけない。横綱はどんなことがあってもカーッとなってはいけない」とコメントしていた。

 つまり、白鵬は若いときから、愚直というよりはしたたかさを秘めており、かつ、朝青龍に匹敵するくらい内面の激しい力士であった。当初持ったこの印象は、良くも悪くも最後までそう変わらなかったように思う。

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