能町みね子「白鵬の14年 栄光と意図せぬ対立」

国籍、家の事情、世間の風潮に翻弄されて
能町みね子(文筆家・漫画家)

一人横綱時代の不運

 悪印象のものを先に挙げてしまったが、特に横綱昇進から全盛期にかけての白鵬はもちろん「魅せる相撲」のほうが多かった。立ち合い、これ以上ないほどの完璧な姿勢で左前まわしを取り、相手の力を完全に封じて寄る、あるいは投げるという相撲が主だった。

 朝青龍が不祥事によって引退した後も、白鵬は一人横綱としてなお力を増して連勝を続け、47連勝目となる10年7月場所千秋楽には、愛知県体育館内に「白鵬コール」が起こっている。つまり、この頃は大多数の観客を味方につけていたはずである。09年、10年はいずれも年間86勝。つまり、年に4回しか負けなかった(史上最高記録)。驚異的な数字である。

 しかしそんな白鵬全盛期に、世間における大相撲の人気は決して高いものではなかった。ただでさえ人気がないなか、10年5月には相撲界に野球賭博騒動、その翌年には八百長騒動が起こり、3月場所が中止に追い込まれた。本来3月場所の直前だったはずの3月11日、白鵬の誕生日に東日本大震災が発生。八百長騒動を受けた5月場所は「技量審査場所」として無料で行われた。

 不祥事の連続に震災も重なり、大相撲には存続すら危ぶむ声があった。しかし、こんな時期にも白鵬の強さは安定しており、11年は5場所中4場所で優勝。その一方で、10年には白鵬自身が「白鵬杯」という少年相撲大会を立ち上げ(現在も継続中)、震災の3ヵ月後には被災地を巡り土俵入りを披露するなど、本場所土俵外での社会活動も精力的に行っていた。

 白鵬の偉業に触れる際、「大相撲の冬の時代に白鵬がいなかったら、一体どうなっていたことか」という言葉がよく聞かれるが、それはこの時代のことである。

 ところが震災の翌年頃から、白鵬の歯車はやや狂ったように思える。力は他力士より図抜けており、着々と優勝は重ねるものの、相撲内容や土俵態度にほころびが見えはじめる。

 よく言われる「荒々しいカチ上げ」が始まったのもこの頃である。12年9月場所、立ち合いで妙義龍の顎に肘を叩き込んで、脳震盪でKO勝ちのように倒したのを筆頭に、その後もほぼ肘打ち同然のカチ上げは常套手段となっていった。

 なお、報道ではこれを単に「カチ上げ」と呼ぶことが多いが、「カチ上げ」は本来相手の上体を起こすための技であり、上腕部を相手の胸に下から上にぶちあてるのが常道である。対して白鵬のこれはふりかぶって横から側頭部や顎を肘の骨で打ちつけるもので、本来の「カチ上げ」の効果があるものではない。

 確かに反則と明記されてはいないが、打撃によって脳震盪を狙うことは危険であるうえに「土俵から出るか、足の裏以外が土俵についたら負け」を基本のルールとする相撲にふさわしい技とは到底言えず、力士の手本となるべき横綱にふさわしいものではなく、そこが長く批判される要因となっている。

 また、土俵上ではどこかイラついた仕草が多くなり、いわゆるダメ押しの類が増えた。14年7月場所、しぶとく粘った豊真将(ほうましょう)を寄り切ったが、勝負がついたあとにさらに押して土俵下に突き落としている。これについては、白鵬の優勝を祝す場所後のNHK「サンデースポーツ」で、デーモン閣下が「(目標とする横綱の)双葉山はそんなことでイライラしなかったんじゃないかな?」と直接諭したほどだった。

 一方、何度も重ねた場内での優勝インタビューでは、観客を楽しませたり感動させたりするための大仰な発言やパフォーマンスが多くなった。13年3月場所には「(亡くなった)大鵬さんに優勝をささげたい」と、観客も含めて1分間の黙祷を捧げ、落涙。14年11月には、明治時代に大相撲の髷という伝統が守られたという話を持ち出し、大久保利通の名前まで挙げて、天皇陛下に感謝の言葉を伝えている。

 こういった行動が起こった背景には、朝青龍が抜けたあと、稀勢の里(きせのさと)がライバルと目され、自国びいきと判官びいきによって急に白鵬が悪役かのような立ち回りになってしまったことがあるだろう。

 象徴的なのは13年11月場所、稀勢の里が白鵬を破った際、自然発生的に場内に万歳三唱が起こった事件である。観客全体が白鵬を敵視するかのような、醜悪な風景であった。その後も、稀勢の里をひいきするがゆえに白鵬の対戦相手に手拍子や「コール」が起こることはままあり、白鵬はまるで「共通敵」のようになってしまった。

 また、当時はモンゴル国籍であり、これだけの実績を残しながらいわゆる国籍条項によって相撲界に親方として残れる保証がないことも苛立ちの原因の一つだったろう。そもそもこの条項は差別的なものである。親方としての業務上、日本語能力や大相撲についての知識は必要とされるだろうが、帰化というハードルを設ける理由は見当たらず、撤廃すべきである。

 しかし、当時も今も、国籍条項については全く手がつけられる様子はない。それに、仮に白鵬が帰化に積極的だったとしても、白鵬の父はモンゴル人初のオリンピックメダリストという英雄であり、父や周囲がそう簡単に帰化を認めそうにないという事情もあった。

 日本人に好かれたい。日本のことを勉強し、言葉や社会活動でアピールしたい。しかしいま仮に負けが込んで引退となれば親方にすらなれないので、「魅せる相撲」をある程度捨ててでも勝ちに行かねばならない。こういったジレンマが当時の白鵬を苛んでいたのではないか。

(後略)

中央公論 2021年12月号
オンライン書店
  • amazon
  • 楽天ブックス
  • 7net
  • 紀伊國屋
  • TSUTAYA
能町みね子(文筆家・漫画家)
〔のうまちみねこ〕
1979年北海道生まれ、茨城県育ち。『ときめかない日記』『私以外みんな不潔』『雑誌の人格』『結婚の奴』など著書多数。大相撲ファンとしても有名で、NHKの「ニュース シブ5時」では「相撲部部長」としてコーナーを持っている。
1  2  3