土井隆義 「ジョーカーに憧れていた」 京王線・無差別刺傷事件に垣間見る社会的孤立と関係格差

土井隆義(筑波大学教授)
目次
  1. ジョーカー事件に映ったもの
  2. 不満の戦場から不安の戦場へ

ジョーカー事件に映ったもの

 2021年10月、京王線の車内で無差別刺傷事件を起こした青年は、犯行時にジョーカーの仮装をしていた。逮捕後には「ジョーカーに憧れていた」とも供述している。ジョーカーとは、アメリカンコミック「バットマン」シリーズに登場する悪役のことで、スーパーヒーローの宿敵としてこれまで様々なキャラクターが造形されてきた。

 なかでも記憶に新しいのは、不運な出自を背負い、社会から疎外された人物として描かれた2019年公開の映画『ジョーカー』のそれだろう。この映画に登場するジョーカーは、ある神経障害によって幼少期から他者との交流に困難を抱え、成育した家庭環境も劣悪なために人生の辛酸を舐めさせられていた。そんな境遇のなかで狂気へと追い込まれていった彼は、地下鉄内で起こした銃撃事件への反響の大きさから、社会に混乱をもたらすことにやがて快感を覚えるようになる。

 無差別刺傷事件を起こした青年も、仕事で失敗したり、人間関係がうまくいかなかったりしたという。そんな境遇からジョーカーに魅せられ、社会に大きな衝撃を与えて人生を終えたいと願うようになったと供述している。ジョーカーを気取った彼は、犯行後の車内で煙草を吹かしていた。しかしその手は震えてもいた。おそらく虚勢を張っていたのだろう。

 事実、この青年の過去を知る人たちは、目立たなくて大人しい人物だったと語っている。彼の人物像と生活史から透けて見えてくるのは、社会のどこにも居場所がないという疎外感と、それに由来する承認欲求の強さである。自分の存在感を欠落させた人間が、人生への絶望から無差別刺傷事件を起こしてしまう。このような自己顕示欲の発露として起こされる犯罪の背後には、社会的孤立の深刻化という問題が潜んでいる。

 法務総合研究所が2013年に発表した「無差別殺傷事犯に関する研究」によると、犯行時に交友関係が全くなかった者は約54%、完全に無職だった者は約76%、社会保障給付も含め収入がゼロだった者は約60%である。もちろん、このような特徴があるからといって、そのすべてが犯行に走るわけではない。犯罪に手を染める者は、むしろごく少数である。しかし、社会とのつながりの希薄さが問題であることに疑いはない。誰にも必要とされていない疎外感、職がないことによる将来への不安感、失うものが何もない虚無感など、社会的孤立から生ずる諸問題は、自殺の背景要因としても注目されている。社会的孤立は、そもそも社会的存在である人間から、その正常な判断の基盤を奪ってしまうのである。

 社会から排除された人間が、心ない風評等に不満を募らせて起こす犯罪は、過去にも時おり見受けられた。横溝正史の『八つ墓村』のモチーフになった津山事件などはその典型例だろう。その犯行時に煮えたぎっていたのは、自分を拒絶した人たちに対する抑えがたい怨念だった。かつての村落共同体のように束縛の強い世界では、その濃密な関係からいったん外されると、その後まともな生活を営んでいくことは困難だった。だからこそ私たちは、その息苦しく狭い世界を嫌悪し、周囲から束縛を受けることなく生きられる社会の実現を目指してきたのだといえる。

 その結果、現代の私たちは、かつてより多くの自由を手に入れ、一人でも生きていける解放感を味わっている。しかしその代償として、承認の欠落という不安を同時に抱え込んでしまった。人生に対する絶望感を背負っている点では似通った犯行でありながら、「自分を指さすな」と特定の他者へ向けた不満の発露から、「自分を指さしてくれ」と不特定の他者へ向けた不安の発露へと内実が大きく変貌したのは、このような時代の変化による。

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