土井隆義 「ジョーカーに憧れていた」 京王線・無差別刺傷事件に垣間見る社会的孤立と関係格差

土井隆義(筑波大学教授)

不満の戦場から不安の戦場へ

 本論考のタイトルに掲げた「平坦な戦場で僕らが生き延びること」は、漫画家の岡崎京子が、その代表作の一つ『リバーズ・エッジ』で、アメリカ合衆国の作家、ウィリアム・ギブスンの詩から引用した一節である。『リバーズ・エッジ』が発表された1990年代は、戦後の日本にとって大きな転換点だった。日本の名目GDPの推移(図1)を見ると、それまでほぼ右肩上がりだったものが、この時期を境にほぼ横ばいへと転ずる。坂道をひたすら上り続けた時代から、平坦な高原を歩き始める時代へと、社会が大きく変貌したのである。この詩の一節は、まさにこの時代の変化と符合するものだった。

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"how we survive / in the flat field"が、この一節の原文である。『リバーズ・エッジ』に描かれたのも、坂を上り切った地平に広がる高原を目前に、さて次はどこへ向けて歩めばよいのかわからず、途方にくれ始めた頃の時代精神だった。岡崎自身も、ある雑誌の対談で「私は世界が終わってしまうといった世紀末の終末感より、むしろ世界が終わらないことのほうが怖い。終わらない、この日常をジタバタ生きていくことのほうが恐ろしい」と語っていた。

『リバーズ・エッジ』は、主人公のこんな印象的な語りから始まる。「あたし達の住んでる街には/河が流れていて/それはもう河口にほど近く/広くゆっくりよどみ、臭い」。平坦な道が延々と続く高原地帯といっても、深呼吸をしたくなるような清々しく見通しのよい場所ではなく、むしろ先行きの全く見えない濃霧がかかったような場所である。この感覚は、「この日常がずっと続いていくんだ」という確信を伴った諦観とともに、2000年代以降の時代精神の根底を成していく。

(『中央公論』2022年3月号より抜粋)

土井隆義(筑波大学教授)
〔どいたかよし〕
1960年山口県生まれ。大阪大学大学院博士後期課程中退。専門は社会学。『友だち地獄─「空気を読む」世代のサバイバル』『キャラ化する/される子どもたち─排除型社会における新たな人間像』『つながりを煽られる子どもたち─ネット依存といじめ問題を考える』『「宿命」を生きる若者たち─格差と幸福をつなぐもの』など著書多数。



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