岸田首相が夏休みに購入した1冊は『フランクリン・ローズヴェルト』。大恐慌と第二次世界大戦に挑んだ指導者の姿とは
大戦後、「ひとつの世界」を目指した
1939年9月にヨーロッパで第二次世界大戦が勃発すると、ローズヴェルトは表向きは中立を保ちながらも、イギリスをはじめとする連合国側への支援を拡大していった。その結果、平時でありながら、軍需品の生産を増やし、選抜徴兵制度を導入するという、常識的にはありえない状況が生み出された。共和党を中心とする孤立主義者は、こうした事態を厳しく批判したが、ローズヴェルトは、アメリカの強大な軍事力と生産力をもって連合国を支援しなければ、ヨーロッパ全体がナチス・ドイツに支配されてしまうのだと繰り返し国民に訴えて、世論を動かした。
1941年12月に日本の真珠湾攻撃によってアメリカが参戦すると、ローズヴェルトは、「民主主義を守るための戦い」を指揮する最高司令官となった。ニューディールは、景気を大恐慌以前の水準まで回復させることができなかったが、戦時下での軍需生産の増大は、またたく間にアメリカ経済を浮揚させた。戦争への協力を求められた国民は、ファシズム対民主主義の戦いという大義の下で一丸となった。
1930年代には、ほとんど内政に専念していたローズヴェルトは、参戦によって一躍、国際舞台に躍り出た。イギリスのチャーチルとソ連のスターリンとともに戦略を練り、戦後世界を構想する姿は、水を得た魚のようだった。
ローズヴェルトは、ドイツはもとより、イギリスとフランスにも植民地を放棄させること、自由貿易を推進してアメリカの覇権を確立すること、連合国が中心となって国際連合を設立し、それを軸に「ひとつの世界」を作り出すことを目指していた。
しかし、ローズヴェルトは、連合国の勝利を見届けることなくこの世を去ってしまった。その突然の死は、国内外に衝撃をもたらした。彼のいない戦後を、誰も想像することができなかった。ローズヴェルトの死後、人々は問い続けた。もし、彼が生きていたなら、戦後、米ソの対立は回避され、別の世界が生まれていたのだろうかと。ローズヴェルトは、戦後のアメリカが世界において果たすべき役割を明示しながら、そこへアメリカを導くことなく逝った指導者だった。
ローズヴェルトは、大恐慌と第二次世界大戦というふたつの危機を通じて、アメリカの理想や希望を、どのように描いていたのだろうか。新書『フランクリン・ローズヴェルト』では、ローズヴェルトの生涯をたどり、彼が生きた激動の時代を振り返ることによって、この指導者の実像に迫っている。
佐藤千登勢
フランクリン・D・ローズヴェルトはアメリカ史上唯一4選された大統領である。在任中には大恐慌と第二次世界大戦という未曾有の危機に直面した。内政では大胆なニューディール政策で景気回復に努め、外交ではチャーチルやスターリンと協力してドイツ・日本と戦い、勝利への道を開いた。ポリオによる不自由な身体を抱えつつ、いかにして20世紀を代表する指導者となったか。妻エレノアらとの人間模様も交え、生涯を活写する。
1963年、新潟県生まれ。一橋大学経済学部卒業。一橋大学大学院経済学研究科博士課程中退、デューク大学大学院歴史学部博士課程修了(Ph. D)。ハーヴァード大学客員研究員、筑波大学大学院人文社会科学研究科准教授を経て、2015年より同教授。著書に『軍需産業と女性労働―第二次世界大戦下の日米比較』(彩流社、2003年、アメリカ学会清水博賞受賞)、『アメリカ型福祉国家の形成―1935年社会保障法とニューディール』(筑波大学出版会、2013年)、『アメリカの福祉改革とジェンダー―「福祉から就労へ」は成功したのか?』(彩流社、2014年)など。