武田 徹×石戸 諭 当事者の声があふれる時代に、「物語」にできること
スター作家を支えた集団執筆体制
武田 戦後日本の新聞ジャーナリズムはストレートニュース志向で、客観報道主義です。記者が私=一人称で語ることはほぼない。けれど、その形式におさまらない仕事をしたい人もいるわけです。
石戸 僕がまさにそうでした。
武田 その先駆者たちがいて、『朝日新聞』の記者だった本多勝一さんもスクープのご褒美で連載を持たせてもらい、それが『カナダ=エスキモー』としてまとめられました。新聞ジャーナリズムの定型性への反動が、一人称で書けるノンフィクションを生んだ面もあります。
石戸 『読売新聞』の記者だった本田靖春さんもそうですね。
武田 NHKの客観報道主義の外に出ようとしたのが柳田邦男さん。
石戸 その後、1970年代になると沢木耕太郎さんが登場してきます。
武田 沢木さんが初めて会社勤めを経験せずに専業ノンフィクション作家として活躍され、ノンフィクション作家の時代が来ます。その時代に先鋭的で物語的なノンフィクションが極まっていきます。
石戸 日本にも確かにノンフィクションの売れ行きがよかった時代がありました。70年代、80年代に生み出された大型作品群は貴重な参考文献です。
武田 ノンフィクションでないと書けないテーマがあったし、ノンフィクションの書き方でないと伝えられないことがあった。今も事情は変わらないのですが、その後どうなったかというと、たとえば柳田邦男さんと同じようにメディア組織に属していた人が、そこでの取材の成果を報告レポートとして出版するケースがある。ただ、柳田さんが書いたものとは異なり、作家性が薄いと感じます。組織を飛び出して自分の作品を書こうとする熱量が感じられない。
石戸 チーム取材をどう考えるかですよね。組織力を背景にした人たちが取材を基に書くものと、『月刊現代』の休刊と前後して紙媒体が先細っていく中で活動している専業の人たちが書くものを比べると、どうしても後者が取材力では劣ってしまいます。
武田 チーム取材、集団執筆体制もノンフィクションを考える際のキーワードの一つです。ジャーナリストの大宅壮一の影響もあって、新聞社系の週刊誌、それこそ今回休刊が決まった『週刊朝日』が集団執筆体制を始めます。それを後続の出版社系の週刊誌が取り入れる。当時の出版社には編集者はいても取材記者やライターはいなかったので、どうするかというと、取材ができる人たちを契約記者として囲い込む。彼らが取材して書いたデータ原稿を、まとめ役のライターがアンカーマンとして週刊誌らしい味わいやアクの強い文章に仕上げる。こうして多くの取材が必要なテーマでも週刊のサイクルで記事がつくれたし、アンカーマンが署名記事を書くようになってスター・ノンフィクション作家も生まれる。立花隆さんの「田中角栄研究」も、週刊誌のシステムを月刊誌の『文藝春秋』で採用したものです。
石戸 その体制だからできるテーマがありますよね。
武田 巨悪を告発するようなテーマは、一人でこつこつやっていてはらちが明かない。ただ、最近では人件費がかかる集団執筆体制を維持できなくなってきた。そうすると書き手は一人で書けるテーマしか選べなくなってしまいます。