武田 徹×石戸 諭 当事者の声があふれる時代に、「物語」にできること

武田 徹(専修大学教授)×石戸 諭(ノンフィクションライター)

第三者的役割への評価の低下

石戸 後藤正治さんによる本田靖春さんの評伝『拗ね者たらん』を読むと、本田さんが『誘拐』を書いたときは、刑事と繋がっている編集者がいて、その筋から資料を大量に入手していたらしいです。それは本田さんも一人ではなく、実は共同作業者がいたということを意味しています。そうした存在がいることは重要なポイントだと思います。


武田 調書をはじめ、外部へ出してはいけないものをなぜ漏洩させるかというと、世間の人が知った方がいいと思うからです。そうした公益性を察するマインドの持ち主がいて、取材に協力していた。そういう協力体制があるからこそ生まれた大型のノンフィクションがあったんです。今はコンプライアンスが厳しい時代ですから、情報提供者とノンフィクション作家の公益性を目指した協業は成立しにくくなった。


石戸 今年刊行された『安倍晋三 回顧録』も、以前であれば、安倍さんの話を一次資料にして評伝を執筆することもあり得たのではないでしょうか。


武田 情報の賞味期限が短くなって、評伝を書くのを待てない。旬のうちになるべく早く出版しないといけないという雰囲気がありますね。


石戸 あの本はインタビュー本であって、「回顧録」ではありません。回顧録ならば文章を整える人がいてもいいですし、本人が書いてもいいし、本人に代わって適切な書き手がいてもいい。


武田 本人の発言にクロスチェックをかける役割の人がいてもいい。


石戸 そうです。でも、そうではなく、インタビュー本として出版されました。もはや評伝のように第三者が介在して、原稿化することが求められなくなっているのではないかと思ってしまいました。


武田 確かに、私的な言説を公共空間に出してよいものへと変えていく第三者的な役割への評価はすごく下がっています。ネット媒体では編集者がいないところもあるらしい。書き手と編集者との対話によってコンテンツが公開に耐えるものへと鍛えられていくプロセスが軽視されているし、なくてもいいとさえ思われている節があります。

 あと、昔のことを調べ直してスクープ性があるニュースを報じても、かつてほど評価されなくなりましたね。速報性ばかりが評価され、すぐ伝えるために、作品として料理する手間をかけられなくなっている。それは現在をストレートに映し出す映像メディアにはない、活字メディアや雑誌ジャーナリズムならではの大事な価値を自分から手放しているのではないか。たとえ市場がそういう方向へ進んでいても、その流れに任せるままでは自分の首を絞めてしまう。最終的にはもっとも早い情報提供の仕方ということで、「自分で語れば一番いい」となりかねない。


石戸 行き着く先は、「公式YouTubeで話せばいい」となるのではないかと思います。もうメディアは要らないといった、ネットにおける反メディア言説と、第三者的な役割の排除は結びついているんです。


武田 これまでは、いろいろなチェックをかけたうえで事実が確定したものを、信頼できますよという意味で「公式」と呼んできたのですが、今は当事者が自分で語っていることを「公式」と呼ぶようになっています。


(後略)


構成:小山 晃

中央公論 2023年6月号
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武田 徹(専修大学教授)×石戸 諭(ノンフィクションライター)
◆武田 徹〔たけだとおる〕
1958年東京都生まれ。国際基督教大学卒業。同大学大学院比較文化研究科博士前期課程修了。ジャーナリスト、評論家。東京大学先端科学技術研究センター特任教授などを経て、2017年より現職。『流行人類学クロニクル』『戦争報道』『原発報道とメディア』『日本語とジャーナリズム』『日本ノンフィクション史』『現代日本を読む』など著書多数。


◆石戸 諭〔いしどさとる〕
1984年東京都生まれ。立命館大学卒業後、毎日新聞社に入社。BuzzFeed Japanを経て、フリーに。『ニューズウィーク』の特集「百田尚樹現象」で第26回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞、「『自粛警察』の正体」(『文藝春秋』)で第1回PEPジャーナリズム大賞を受賞。著書に『ニュースの未来』『東京ルポルタージュ』など。
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