武田 徹×石戸 諭 当事者の声があふれる時代に、「物語」にできること

武田 徹(専修大学教授)×石戸 諭(ノンフィクションライター)
武田 徹氏(左)×石戸 諭氏(右)
 雑誌の相次ぐ休刊により、危機と言われて久しいノンフィクション。それが果たしてきた役割すら失われてしまうのだろうか。専修大学教授・武田徹氏と気鋭のノンフィクションライター・石戸諭氏がノンフィクションの過去・現在・未来を論じ合う。
(『中央公論』2023年6月号より抜粋)

相次ぐ雑誌の休刊

石戸 2000年代のノンフィクションを支えてきた『月刊プレイボーイ』や『月刊現代』といった雑誌が休刊し、「ノンフィクション冬の時代」と言われて久しいです。そして今度は、総合週刊誌で最も長い歴史を持つ『週刊朝日』が今年5月末をもって休刊します。書き手としてはまた一つ発表媒体がなくなるわけですが、武田さんは雑誌を主戦場にして執筆されていた時代が長くありますよね。


武田 1980年代の後半から、ビジュアルに力を入れた『DAYS JAPAN』や『マルコポーロ』、『VIEWS』といった雑誌の創刊が重なって、活字メインの論壇誌や週刊誌に掲載されるのとは違うタイプのノンフィクションが書けるライターが求められたんです。


石戸 それで依頼が増えたんですか。


武田 もう一つ事情があって、当時のビジュアル誌にはカラーだけでなく、モノクロページがあったのですが、大きな広告が入らないので稼いでくれない。そこで手間をかけずにページを埋めてくれる人に依頼しようと編集部は考えたのだと思いますよ。長い連載を同時に3本くらい持てました。そうした連載を1年ごとにまとめて単行本を出していた時期もありました。


石戸 いい時代ですね。そういうライターのキャリアは今やあり得ません。雑誌の連載を単行本にまとめるのも一苦労ですから、ノンフィクションにとって厳しい時代なのは間違いないです。


武田 石戸さんの執筆媒体は、週刊誌がわりと多いんじゃないですか。


石戸 そうですね。『週刊朝日』ではあまり執筆していませんが、『サンデー毎日』ではページをもらっています。長めの原稿は、『ニューズウィーク』『文藝春秋』、あとは『群像』などに定期的に寄稿しています。


武田 ビジュアル誌はシリアスなノンフィクションがなじまなくなり、週刊誌に論壇誌、文芸誌といった昔からの媒体が生き残って、数少ない発表の場になっている。


石戸 ライターとしてはかなり厳しい状況です。僕の場合は、書く仕事だけではなく、テレビやラジオの仕事があるから幸いですけれど、書く仕事だけとなると、ますます厳しくなってきています。


武田 あとはネットですね。ここ30年くらいの間に、ものを書く環境のエコシステム(生態系)が随分変わりました。


石戸 ネットは「自分で稼げ」という感じですね。有料記事を自分で販売してやっていける人たちはいいですし、どんどんやればいいと思うんです。ただ、一人で書くことには限界もあります。最初はいいとしても、継続的に活動できるかというと、かなり難しいでしょう。


武田 プロフェッショナルとしてやっていくためには、作家と作品を育てるエコシステムがないとだめですね。


石戸 仰るとおりです。

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