新連載 大学と権力──日本大学暗黒史

森功(ノンフィクション作家)

『叛逆のバリケード』に記されている通り、日本会はその世話人が組織の性格を表しているといえる。

くだんの〈日本会世話人名簿(抜粋)〉には、錚々たる顔ぶれが並ぶ。いずれも戦後日本の政財界の歴史に名を刻んだ著名人ばかりだ。

総裁は佐藤栄作、戦後、日大を率いてマンモス大学に育て、中興の祖と呼ばれた古田重二良が会長に就いている。日本会は日大会頭の古田が各界に呼びかけ、結成された。世話人名簿にあるメンバーを列挙するだけで、壮観という以外にない。名簿の順に姓名を挙げると、次のようになる。

赤羽善治、東龍太郎、西尾末広、愛知揆一、町村金五、塚田十一郎、大平正芳、市村清、足立正、御木徳近、柴田徳次郎、松下幸之助、堀田庄三、江崎真澄、村上元三、小佐野賢治、銭高輝之、小田原大造、中原実、藤山愛一郎、曽禰益、石田博英、西村直己、迫水久常、三木武夫、奥村綱雄、徳川夢声、庭野日敬、堤清二、井植歳男、保利茂、椎名悦三郎、安藤楢六、永野重雄、鈴木享市、賀屋興宣、岸信介、灘尾弘吉、田中角栄、福田赳夫、安井謙、植村甲午郎、和田完二、原文兵衛、藤井丙午、日向方斉、石田退三、中曽根康弘、山岡荘八、大川博、五島昇

日本会には国会議員や自治体の首長だけでなく、大手企業の経営者やメディア関係者、宗教家や文化人、裏社会に通じるフィクサーにいたるまで、あらゆる分野の著名人が参加してきた。とても全員を説明する紙幅はないが、名簿順に少しだけ紹介すると、1人目の赤羽善治は60年代に九州電力の社長、会長を務めてきた財界人だ。福岡商工会議所会頭や福岡証券取引所理事長、日本経営者団体連盟常任理事を歴任してきた。

2人目の東龍太郎は厚生省の元大物官僚である。医務局長から東京都知事に転身し、日本オリンピック委員会(JOC)委員長や国際オリンピック委員会(IOC)委員となり、1964年の東京五輪開催に漕ぎつけた立役者として知られる。3人目の西尾末広は民社党の前身である民主社会党初代委員長で、労働運動家でもあった。内閣官房長官や副総理まで務めた。

つまり日本会は日本の保守を担う権力中枢が集った体制組織といえた。現代でいえば、さしずめ日本会議のようなイメージだろうか。靖国信仰を掲げ、日本の再軍備を訴える自民党保守派の国会議員やその支持者たちの集う日本会議のメンバーほど過激ではないかもしれないが、メンバーの顔触れを見る限り潜在力は大きいように感じる。少なくとも新左翼の学生たちにはそう映ったに違いない。元日大商学部教授の根田正樹に日本会について尋ねた。

「総調和運動という一つの保守の運動体があり、運動体の主唱者であり、リーダーの一人に古田重二良がいたわけです。保守運動が終戦後の日本の大きな潮流となり、それは反共運動でもありました。古田先生はそうした流れのなか、佐藤栄作をはじめとした保守党のリーダーたちと強く結びついていった。靖国参拝ほど露骨でないにしろ、一つの反共社会運動、政党運動の組織といいかえていいかもしれません」

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