連載 大学と権力──日本大学暗黒史 第3回
古田体制を目の敵にした日大全共闘
元商学部教授の根田が続ける。
「現在の私学運営の仕組みをつくったともいえます。戦後、私学助成金という国の補助金制度を政府に働きかけたのも古田先生です。経常費補助金といい、文科省が私学事業団(日本私立学校振興・共済事業団)を通じ私立大学の教員給与を補助していますが、その私学助成制度の旗振り役が古田重二良先生でした。私立大学はある部分、国立大学の役割を担っているわけです。私学は一種の社会インフラだから、やはり国も少しは援助しろよという発想。つまり私学は学生の納付金だけではとてもやっていけないので、助成してほしいということです。そのために首相経験者の佐藤栄作とか、灘尾弘吉という文部大臣と接点を持っていった。それで古田先生は今でいう文教族の代議士たちとお付き合いし、ずいぶん私学助成を引っ張り出す運動をされたんじゃないかなと思います」
古田は前に書いた「社団法人日本会」を結成し、政財界や言論界に独特の保守ネットワークを築いた。日本会は設立代表発起人に文教族議員たちが数多く並ぶ。半面、保守・右翼思想を信条とする各界著名人たちの集まりでもある。日本会の総裁は佐藤栄作、会長が古田で、岸信介や田中角栄、福田赳夫、中曽根康弘といった自民党の保守政治家たちが代表発起人となっていることも前に書いた。言論人として日本会に参加した山岡荘八は76年10月に日大の発行した『古田重二良伝』に「太陽と地球のごとく」と題し、日本会について次のように寄稿している。
〈(米国による占領下では)当然のこととして国内に思想分裂の襞は大きくなっていった。そしてそれは、日本よりも先に、すでに二分されていた北鮮軍が国境を超えて南朝鮮に雪崩れ込むという朝鮮事変に発展していった。
実は、ここで蹶起したのが、古田重二良氏を始めとする「社団法人日本会」を取り巻く人々だったのである。
「この分では日本も、必ず朝鮮の二の舞を演じさせられる」〉
この日本会ならびに古田体制を目の敵にしたのが、日大全共闘だった。1968年4月、日大理工学部教授が裏口入学を斡旋して多額の謝礼金を受領したことが明るみに出て、日大紛争が勃発する。(敬称略・つづく)