片岡妙晶 1995年生まれの女性僧侶が語る、今に生きる親鸞の教え

片岡妙晶(真宗興正派慈泉寺僧侶)
片岡妙晶氏
 2023年は親鸞生誕850年の年。1995年生まれ、布教使・教誨師として活躍する女性僧侶が、生きづらい現代にこそ知りたい親鸞の教えについて語る。
(『中央公論』2023年9月号より抜粋)
目次
  1. 生きづらさを救った親鸞の教え
  2. なぜ人は正しさを押しつけるのか

生きづらさを救った親鸞の教え

──なぜ僧侶になったのでしょうか。


 私はお寺の生まれで、僧侶はもともと身近な存在でした。生まれ育った慈泉寺(香川県まんのう町)は創建500年。祖父が先代、父が現在の住職を務めています。

 高校卒業後は京都の美術短大に進学し、先人の知恵を受け継ぐ伝統工芸の世界をめざしていました。けれども進路を考えるうちに、伝統工芸の職人としてものを作るよりも、先人の説いてきた哲学そのものに関心があったことに気づきました。そこで20歳のときに短大を中退し、僧侶を養成する中央仏教学院(京都市)に入学したのです。

 私は兄と妹の三人きょうだいで、寺を継ぐのは兄と決まっていたので、僧侶にはなれないものと思っていました。身近であっても僧侶とは何をするのかよく知らなかったものですから、その道を諦める結果になるにしても、まずは学ぶことにしようと。


──卒業後、寺に住み込む「住職」ではなく、「布教使(ふきょうし)」を選びました。


 僧侶にはさまざまな資格や役割があります。お勤めを専門とする「式務(しきむ)」、ハワイやブラジルなどまだまだ仏教が伝わっていない海外に教えを広める「開教使(かいきょうし)」などです。私が選んだ布教使は、住職ではないからこそフットワーク軽く、いろいろなところに教えを広めていくことができる。一般企業で言えば広報にあたる存在ですから、「寺離れ」など現代の仏教の直面する課題が深刻化してしまった一因に、布教使の不足もあったのではないかと考えたのです。

 私は僧侶に「なりたくてなった」のですが、仏教界では珍しいようです。仏教学院でも、世襲制で実家の寺を継がなければならないから入学したという人がほとんどでした。

 実は、私は幼いときから生きづらさを抱えていて、小学校高学年から中学のころは不登校になりがちでした。世の中に対する言いようのない違和感、ままならない思いがあって。けれども自分の力では世間を変えられないし、そこから逃げること──例えば自殺を選ぶこともしませんでした。どうしようもない現実を受け入れながら生きていくしかない......。そうした違和感をうまく言語化して、どのように受け止めたらよいかを教えてくれたのが親鸞聖人の教えでした。私自身の実感を込めて教えを伝えられるのは大きな強みですから、布教使という道を選んだのです。

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