連載 大学と権力──日本大学暗黒史 第4回

森功(ノンフィクション作家)

 日大紛争の走りとなった知られざる事件

学生会における藤原執行部の活動は日大紛争の走りだともいえる。そこで大きな出来事があった。日大紛争からさかのぼる1年前の67年4月20日のことだ。学生たちのあいだで「4.20事件」と呼ばれる大学当局との衝突である。実はここに登場するのが、田中英壽だと伝えられる。廣瀬が言う。

「彼は相撲部にいましてね。私は直接彼を知らなかったんですけど、彼らによるわれわれ学生たちに対するリンチは目撃しました。相撲部、空手部、応援団が中心になってね。田中はその首謀者の一人だったんだと思います」

会頭の古田をはじめとした大学当局は左翼学生たちを封じ込めるため、応援部や空手部といった格闘技系の学生たちを動員し、対策にあたらせた。

「藤原はやっぱり勇気があったんだね。応援団をつぶさないかんいうことで応援団撲滅運動を始め、かなり功を奏していたんです。対してやっぱり学校側としては、これはほっておけない、と理由をつけてつぶそうとした。それが67年の4月20日の事件でした。ちょうど(新入生)歓迎会があって、羽仁五郎を呼んで講演をさせようとしたんです。で、演壇でやり始めて10分ぐらい経つと、とビラが撒かれた。そこに『応援団をつぶせ』と書かれていたんです。もちろんわれわれがそんなことをするわけがなく、彼らの自作自演でしょう。けれど、応援団の連中が入り込むきっかけになった」

羽仁五郎はマルクス主義の歴史学者であり、参議院議員や日本学術会議議員を務めてきた。講演会の会場は1000人収容できる経済学部7階の大講堂だ。廣瀬が続ける。

「見ると、ほとんどが黒服を着ているのでおかしいなと思っていたんだけれど、まさか運動部の連中の動員が掛かっているなんて知らない。われわれは後ろの方の席にしか座れないわけです。そうして後ろから仲間と一緒に見ていたら、ドドドッーと演壇に黒服が駆け上がってね。そのまま執行部の連中のいる控室に向かって連れ出そうとしていました。囲まれて階段を引きずり降ろされているわけです。これはやばいと思った。けれど、黒服が止めるから前に行けない。多勢に無勢でそれを突破する勇気もない。それで見届けるしかありませんでした」

経済学部3階の南側階段がそのリンチの現場だったという。

「経済学部は吹き抜けになっていたから上から下が見えました。そうして見ていると、執行部の学生がボコボコにやられているわけです。いちばんひどかったのは藤原委員長、バットで思いっ切り殴られていました。『おまえら暴力団か』と思わず叫ぶと、私も後ろから引っ張られてね。黒い服の連中4、5人に囲まれ、背中をガンガン蹴られました。まあ、私の場合は執行部に比べれば大したことはなかったけど、黒服が引き上げていったあとは、執行部の学生が倒れて鼻血を流してたり、部屋中が荒らされている。金品とかみんな盗られたって言っていたんでね。とにかくひどかった。4.20事件はもっぱら応援団が中心のリンチ事件だとされています。それを経て藤原執行部がつぶされた。執行部そのものがないので、そのあとの6711月の三崎祭も開けなかったんです」

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