大竹文雄×笠井信輔 コロナ禍でのがん闘病から見えた社会の病理

大竹文雄(大阪大学特任教授)×笠井信輔(フリーアナウンサー)

医療者の価値観が支配した3年間

大竹 大変だったのですね。その頃、専門家会議のメンバーの間では非公式の勉強会で、1ヵ月間の予定だった緊急事態宣言をいつ解除するかをめぐり、激論が交わされていました。病気の実態が不明な段階では、人との接触を断つしか感染を防ぐ方法はありません。つまり、命を守るための感染対策か社会経済活動かという対立構造になるのは仕方がなかった。

 しかし、感染対策が長引くなかで、「命と命の対立」が起きはじめた。行動制限によって経済活動が停滞し、失業・倒産で命を失う人が出てきたのです。自殺者が増え、結婚数が減って出生数も激減しました。さらにコロナ病床を確保するため、他の患者の入院が制限される時期もあった。新型コロナへの感染は、さまざまなリスクのうちの一つであるという認識が広まるのに、時間がかかりすぎたと思います。

 笠井さんは退院後、スムーズに仕事復帰できたのでしょうか。


笠井 大企業に勤めていれば休業補償等で入院中も基本給の約7割がもらえますが、フリーランスは働かねば1円も入ってきません。半年も休んでしまったので、とにかく働かなきゃいけない。しかし、コロナで仕事がないのです。講演会やイベント約40件の予定はすべてキャンセルとなりました。いい意味でも悪い意味でも、自分はなんという時代にがんになったのだろう、と思いました。

「いい意味」とは、私のがん闘病中は世の中全体が止まっていたので、周囲が生き生きと働いている姿を見ずに済み、後れを取らなかったということです。キャンセルされた仕事はほとんど順延となり、コロナ後に復活。その意味では運がよかったといえます。

 一方で、コロナの時代の入院にはつらいこともありました。面会制限で誰も見舞いに来ないのです。これは今もなお続いています。孤独に耐える闘病生活は厳しいものでした。


大竹 私は経済学者として当初から、医療がもう少し柔軟に対応すれば、あれほどの行動制限をする必要はないと思っていました。コロナ患者の受け入れ病院が増えなかったために、行動制限で新規感染者数を減らそう、となってしまった。その結果、「命と命の対立」を招いたのです。

 専門家と世間との間には認識のギャップがありました。私が初めて専門家会議に出席した20年3月、世間はコロナがこんなに長引くと思っていませんでした。東京五輪も開催の前提で準備が進められていた。しかし専門家会議では事態の深刻さが共有されていました。

 夏になり、テレビはコロナの脅威を喧伝しましたが、逆に専門家はさほど心配していませんでした。治療法がある程度確立し、そこまで怖い病気ではないとわかってきたからです。けれどもそのことを医療の専門家が積極的に伝えず、「コロナは怖い病気で絶対に感染してはいけないから、感染しないように行動制限すべきだ」と言いつづけたことも問題でした。

 21年にはワクチンが開発され、春から夏にかけて接種が進みましたが、東京五輪期間中にデルタ株の感染が拡大、ワクチン未接種の中高年の重症化が問題になりました。秋にはかなり落ち着き、方向転換できたはずですが、できなかった。12月から感染が拡大したオミクロン株は、重症化率が低いと早くからわかっていたのに、感染者以外にも行動制限を強いる2類相当扱いが今年の5月まで続いてしまった。

 病気の実態を正しく反映することに失敗しつづけたために、多くの人が大きな影響を受けたのです。


笠井 かなり早い段階で治療法が確立していたということですが、報道に身を置いた私もそんな話はまったく聞いたことがありませんでした。専門家会議で一般には伝えないほうがいいと判断されたのでしょうか。


大竹 もちろん、治療法が確立したことと、治る病気になったということは別です。どのように治療すればよいのかわからなかったという段階ではなくなっていたということです。人々が接触しなければ感染しないので、怖がらせることにメリットがあったのは事実です。だから積極的には発信しなかったのでしょう。


笠井 でも、それでは「北朝鮮がミサイルを飛ばす危険性が高いから軍事費を増やしたほうがいい」という論理と変わりませんよね。


大竹 医療者の価値観ではそれがベストだった。しかし、価値観は一つではありません。回復して仕事をしたかったときに機会を奪われた笠井さんのように、経済をもう少し回すという価値観もあった。それなのに医療者の価値観だけが社会の唯一のものとされてしまった。大きな問題だったと思います。

 がん患者は通常、治療を受けるにあたって治療法の選択を迫られますよね。この抗がん剤を使うとこれくらいの副作用が出ますよ、別の抗がん剤ならこうなりますが、どれを選びますか、と。


笠井 私の場合は特殊な症例ゆえ治療法に選択肢がなかったのですが、複数の選択肢から自分で選ぶのが今の医療の流れですね。


大竹 笠井さんのケースは、病気の実態が不明だったコロナ最初期の状況に似ています。接触減が唯一の選択肢となれば、医療者の言うとおり行動制限をするしかない。でも次の段階では、医療者に判断を任せず、多様な分野の価値観を入れるべきでした。医療現場でインフォームドコンセントとして日常的に行われていることが、新型コロナでは行われなかった。コロナ対策vs.社会経済の対立構造が保持され、医療者は「感染対策によって、経済に問題が生じたら、経済対策をすればよく、感染対策を変える必要はない」という姿勢を崩さなかったのです。しかし、オミクロン株が流行して、医療従事者の濃厚接触者が多くなり、医療機関の運営が難しくなると、医療従事者に限って濃厚接触者の行動制限を緩めるべきだ、という意見が出てきました。これは、感染対策と社会経済活動のトレードオフの典型例なのですが、このことが医療機関の外部でも発生していることを、医療者の方は理解していなかったと思います。


(続きは『中央公論』2023年10月号で)


構成:高松夕佳

中央公論 2023年10月号
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大竹文雄(大阪大学特任教授)×笠井信輔(フリーアナウンサー)
◆大竹文雄〔おおたけふみお〕
1961年京都府生まれ。83年京都大学経済学部卒業、85年大阪大学大学院経済学研究科博士前期課程修了。博士(経済学)。大阪大学社会経済研究所教授、同大学大学院経済学研究科教授等を経て、2021年より現職。23年8月まで新型インフルエンザ等対策推進会議委員。著書に『日本の不平等』『行動経済学の処方箋』などがある。

◆笠井信輔〔かさいしんすけ〕
1963年東京都生まれ。87年早稲田大学商学部卒業後、フジテレビ入社。「とくダネ!」など主に情報番組で活躍。2019年に退社、フリーに。著書に『増補版僕はしゃべるためにここ(被災地)へ来た』(新潮文庫)、『生きる力』(KADOKAWA)など。最新刊に『がんがつなぐ足し算の縁』(中日新聞社)がある。
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