黒木 亮 地を這う"総合商社"味の素――『地球行商人』を上梓して

黒木 亮(作家)
ナイジェリアのラゴスで、食堂のおかみさん(イフォマさん)と著者
 中央公論新社より好評発売中の『地球行商人――味の素グリーンベレー』は、味の素の社員たちが、いかにして世界の食品市場を攻略してきたかを描いたノンフィクション。著者の黒木亮氏が、ナイジェリア、エジプト取材のエピソード、作品の発端となったベトナムでの出会いなどを明かす。
(『中央公論』2024年1月号より)
目次
  1. ナイジェリアの空港で
  2. 二十六年前の出会い
  3. 取材網を広げる

ナイジェリアの空港で

 コロナ禍直前の二〇二〇年一月八日、わたしはロンドンからナイジェリアのラゴスに向かう英国航空75便の機内にいた。約二百四十席あるジャンボ機(747‐400)のエコノミークラスはほぼ満席で、乗客のほとんどが黒人だった。

 これまで仕事や旅行で八十ヵ国以上を訪れたが、ナイジェリアは初訪問である。上から下まで腐敗まみれで、昼間から強盗が出没する世界で最も危ない国の一つであると長年聞いていた。英国人の友人からは「何の用事で、あんな最悪の国に行くんだ!?」と吐き捨てるようにいわれた。

 怖いことは怖いが、約二億の人口を有する日産約一七〇万バレルの大産油国が、いったいどのような国で、日本企業の駐在員たちがどのような日々を送っているのか、非常に興味をかき立てられるものがある。

 午後五時過ぎ、ジャンボ機は夕暮れのラゴス空港に着陸した。空港の係官が旅行者に難癖をつけ、金をせびるので悪名高い空港である。見るからに険しい顔つきの手荷物検査の係官に、「スーツケースには、何が入っているんだ?」と訊かれたが、「服と食べ物」と答えると、開けさせられることもなく無事通過。

 空港ビルを出ると、味の素の現地法人、ウエスト・アフリカン・シーズニング社(略称WASCO、現・ナイジェリア味の素食品社)の技術担当取締役、小林健一氏が、護衛の警察官ローランドと一緒に白いトヨタハイエースで迎えに来てくれていて、とりあえず一安心する。

 ホテルがあるイコイ地区までは約二八キロメートルの道のり。途中、推定で約二十五万人が住む、世界最大の水上スラム街「マココ」のそばを通過した。幸い、五寸釘を打ちつけた板を路上に置いて走っている車のタイヤをパンクさせ、襲いかかって来る「剣山強盗」には遭遇しなかった。

 宿泊先は、サザンサン・イコイという立派なホテルで、味の素のコーポレート・レート(企業優遇料金)で一泊約二万二千円。

 ホテルのレストランで夕食をとりながら、小林氏に最初の取材をした。

「明日は、早朝の便でカノに行くので、朝四時に迎えに来ますから」

 小林氏にいわれ、内心ひえー、と思う。これはどこの国でも感じたことだが、味の素の人たちは、お客さんに対して必要な気遣いはしてくれるが、一方で「しっかり仕事しましょうね」という感じで、スケジュールはなかなか厳しい。

 ついでにいうと、彼らのもう一つの特徴は、現地の人たちの食べ物を、現地の人たちが食べるような場所で食べることだ。ナイジェリアでも、えっ、こんなところで!? と、度肝を抜かれるような道端の掘っ立て小屋の大衆食堂に連れて行かれた(なお味は非常によかった)。

 その日、寝たのは午後十時頃。

 翌朝は、午前二時過ぎに起床し、同四時にホテルをチェックアウト。小林氏の車で、警察官のローランドとともに真っ暗な道を空港へと向かった。ナイジェリア北部の主要都市、カノまでのフライトの様子は、『地球行商人』のプロローグに描写した通りである。

ナイジェリアのフラニ族の村で食品調査をする小林健一氏(写真提供:小林健一氏)ナイジェリアの民族衣装姿でフラニ族の村で食品調査をする小林健一氏(写真提供小林氏).JPG

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