黒木 亮 地を這う"総合商社"味の素――『地球行商人』を上梓して

黒木 亮(作家)

二十六年前の出会い

 先般上梓した『地球行商人』を執筆するきっかけは、二十六年ほど前に遡る。

 当時、わたしは日本の証券会社の事務所長としてベトナムのハノイに駐在し、同地で直接販売(行商)に従事していた『地球行商人』の主要登場人物の一人、宇治弘晃氏と知り合った。当時もらった名刺を見ると一九九七年一月二十四日という日付が記され、その日の日記には、わたしが住んでいたトレード・ホテルという古い国営ホテルのレストランで一緒に海鮮鍋を食べ、その後、コニャックを一本近く空けたとある。

 宇治氏もわたしも翌年ベトナムを離れ、その後は、年賀状やメールでのやり取りが続き、再会したのは、二〇一六年になってからである。別件の調査で、エジプトのカイロを訪れると、宇治氏がエジプト味の素食品社を開設し、社長として赴任していた。

 わたしは初めての海外生活がカイロ留学で、エジプトはホームグラウンドである。一方、宇治氏は、ホームグラウンドのベトナムの後、インドを経て、エジプト勤務になっていた。攻守所を変えて、という感じの不思議な再会だった。

 ロンドンから比較的近いとはいえ、一度カイロに行けば数十万円の経費がかかる。別件の調査だけではもったいないので、二〇一八年の秋から、宇治氏にも取材をさせてもらうことにした。ただ、取材をしても、モノにならないケースもよくあるので、過剰な期待はせず、まずは虚心坦懐に見聞させてもらうことから始めた。

 カイロ市内のインババやマンシェイヤ・ナーセルなど、低所得者層が住む地区のスーク(市場)の、埃と蠅が舞う中での行商に同行させてもらったり、ドッキ地区にある味の素のオフィスで長時間にわたって話を聴かせてもらったりした。朝礼を見学したときは、エジプト人営業マンたちが、手帳にメモをとりながらセールスリーダーの話を聴き、アラビア語の「セールス十訓」を全員で唱和するので、エジプト人がここまでやるの!? と驚愕した。

 日本企業の海外での活動を描く場合、文化の違いから起きる予想外の出来事が読者を惹きつける。味の素の行商活動は、その種の目が点になるようなエピソードに満ちていた。一例を挙げると、営業マンの一人が、「自分がセールスをやっている姿を親族に見られたくないので、担当地域を替えてほしい」と言ってきたという。エジプト社会では、目ざとくテークチャンスし、口利きをしたり、商品を右から左に動かしたりして、労力をかけずに大金を儲ける人間が利口で、汗水たらしたり、人にぺこぺこしたりして地道に働く者は「ロバ」だと馬鹿にされるのだという。日本とは真逆の発想である。もう一つ、これはエジプトではないが、特技の手品で世界中の人々とコミュニケーションをとってきた小林健一氏が、今も呪術や魔術信仰が根強いナイジェリアで、少額紙幣を高額紙幣に変える手品を披露したところ、誰も手品だと思わず、「俺の金も変えてくれー!」と男たちが殺到して来て、あやうく拉致されそうになったというエピソードも「目点(めてん)」だった。

エジプト・カイロの市場で試食販売をする宇治弘晃氏エジプトの市場で試食販売をする宇治弘晃氏(撮影黒木亮).JPG

 宇治氏は、三十年近くにわたって国を独裁してきたムバーラク政権が「アラブの春」の政変で崩壊した二〇一一年にエジプトに赴任し、その後の、ムスリム同胞団系のモルシー大統領の選出、一三年、クーデターで軍政に逆戻りという、一連の政治的混乱や戦争に近い内乱なども経験していた。

 わたしは元々深田祐介氏の『炎熱商人』『革命商人』『神鷲(ガルーダ)商人』などの国際経済小説の愛読者で、深田氏以降、そういう作品を書く人がいなくなったので、仕方なく自分で書き始めた面もある。深田氏の一連の作品では、駐在国の政権の崩壊やそれに翻弄される日本企業の駐在員たちが描かれていて、自分もそういう政治とビジネスが絡み合う作品を書きたいものだと常々思っていたが、宇治氏やその後取材をした味の素の社員の人たちの経験には、大いに執筆意欲をそそられた。

 また彼らが社内で「グリーンベレー」と呼ばれていると教えられたときは、意表を突く絶妙なネーミングに思わず噴き出してしまうと同時に、「これだ!」と膝を打つ思いがした。味の素という大衆ブランドと、米陸軍特殊部隊を組み合わせたタイトルは、必ず読者の興味を惹くと確信した。

 ちなみに宇治氏には、ナイジェリアの小林氏同様、地元の人が食べるコシャリという料理を地元の大衆店で食べさせてもらった。ご飯にパスタや豆を交ぜ、揚げタマネギを載せ、トマトソースをかけた一種のピラフである。わたしがカイロに留学した一九八〇年代には、屋台で一杯五十円くらいで売られていて、食べると結構な確率でアメーバ赤痢になるという恐ろしい代物だった。宇治氏に誘われたときは一瞬どきりとしたが、二十一世紀のカイロには、そこそこきれいな大衆食堂もでき、美味しいコシャリが食べられるようになっていた。

カイロの市場で試食販売中のエジプト味の素食品社の女性スタッフカイロの市場で試食販売をするエジプト味の素食品社の女性スタッフ.jpg

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