「怒り」を商業利用するSNSが「分断」を促進するメカニズム

津田正太郎(慶應義塾大学教授)
写真:stock.adobe.com
(『中央公論』2025年7月号より抜粋)

 先日、我が家の長女と一緒に旅行していたときのことだ。駅のホームで電車を待つあいだ、私はスマホでX(旧ツイッター)を開いた。そしてついうっかり、私がフォローしているユーザーの投稿(ポスト)ではなく、「おすすめ」に表示された投稿を読み始めてしまった。

「おすすめ」には、利用者の特性をある程度まで踏まえてXが選択したポストが表示される。そのため、私がフォローしていないユーザーのポストも流れてくる。一時期はXを所有するイーロン・マスクのポストがやたらと表示されていた。報道によれば、Xがそのように設定していたという。

 その選択基準の概要は公開され、「極めて攻撃的な内容」のものは選ばれないとされてはいる。しかし、やはり人の感情を刺激するポストが多く表示される。マスクはXを「対戦型ソーシャルメディア」と呼んだが、それはユーザー同士が争うことでその利用時間や利用者数が伸び、結果として広告媒体としての価値が高まるのを期待してのことだと推測される。

 その旅行のときにも、私にとってはたいへん腹立たしいポストが表示された。電車に乗ってからも、そのポストへの反論が頭のなかで駆け巡る。気がつくと、降りる予定だった駅を過ぎてしまっていた。おそるおそるそのことを長女に告げると、「移動中はツイッター禁止!」と言い渡されてしまった。

 この体験談をここで取り上げたのは、今日のソーシャルメディアでは「怒り」が大きな役割を果たすようになっているからだ。もちろん、利用者全員にとってそうだというわけではない。スクリーン上にどのようなポストが表示されるかは、どのプラットフォームを利用するか、誰をフォローするかによって大きく変わる。実際、私の長女のスマホをみせてもらうと、私の画面に表示されるのとは全く異なる、平和なポストが並んでいる。しかし、政治や社会に関する話題を追いかけていると、思わずカッとなるポストにどうしても遭遇しやすくなる。

 なぜ、こんなにもひどいポストをするのか。人間として恥ずかしくないのか。そもそもの議論の前提が間違っているし、百歩譲ってもきわめて一面的な見方でしかない。さらに腹立たしいのは、異なる立場の人間を見下す傲慢な態度が文面からにじみ出ていることだ。こんなポストを投稿する人間は言うまでもなく、これに「いいね」をする連中も、きっと性格が歪んでいるに違いない......。

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