単行本『無常といふ事』がやっと出る(一)

【連載第十一回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)
『大洋』五月号
「僕は無智だから反省なぞしない」と語った小林秀雄の戦後の始まりとは。
敗戦・占領の混乱の中で、小林は何を思考し、いかに動き始めたのか。
編集者としての活動や幅広い交友にも光を当て、批評の神様の戦後の出発点を探る。

「出せるかどうかあやしいものだ」

 小林秀雄の『無常といふ事』が創元社から刊行されたのは昭和二十一年(一九四六)二月二十五日だった。頁数はわずか八十二頁で、定価は十五円、部数は三千部と奥付に記されている。

小林秀雄の話題の新刊のはずなのに、部数が少ないのではないか、とまず思う。それと同時に、小林の戦中の思索と文筆の結晶である『無常といふ事』が、戦後の混乱期にいち早く世に出たということに、しっくりしないものを感じる。戦後の小林秀雄の「沈黙」のイメージがあまりにも強いためか。

 そういえば、小林は「近代文学」の座談会で、この本らしき自著について語っていた。

「僕の書いたものは戦争中禁止された。処が今だって出せるかどうかあやしいものだ。出ないものは出ないで一向構わぬ」

座談会が行なわれたのは一月十二日、座談会を大幅に書き直した〝訂正原稿〟を小林が手放したのは十九日と考えられるから、それからわずか一ヶ月後に『無常といふ事』は無事に出版された。一月中旬の時点では、小林は自著の出版を危ぶんでいたと考えるべきなのだろうか。

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