ますます物語が盛り上がりをみせる中、キーマンの一人が菅田将暉さん演じる源義経だ。その義経、史実では打倒平家の過程で大活躍を見せるも、最後には頼朝から追討を受けることに。原因として「義経は、頼朝にとって決して許すことのできない行為をしてしまった」と東京大学史料編纂所・本郷和人氏は語る。
武士は土地と官職を欲する
武士の主従制を全国の武士との間に設定することで、武家社会のトップに立とうとしていた頼朝。主従制においてごほうびになるものは土地です。なんと言っても武士にとって土地が最高のごほうび。
というのは、土地は不動産というぐらいで、品物や物品のような動産ではないわけです。動産は、いつかは必ず壊れて、失われる。ところが不動産は手当てさえきちんと行えば、ずっと実りを約束してくれる永遠の財産。だから土地は最高のほうびになる。
ところが実はもうひとつ、土地と並ぶぐらい武士にとっては欲しいものがあった。それが官職です。
なぜそこまで官職が欲しいかというと、現代の政治家が勲章を欲しがるのと同じようなものということもあるでしょう。しかしそれよりも、自分という存在を自分も認め、他のみんなにも認めてもらうためには、官職というものが一番、手っ取り早かった。自分のレゾンデートル、存在理由になるものが官職だった。だから朝廷から官職をもらうと、彼らはそれをとても大切に名乗ります。
たとえば義経のように検非違使の判官をいただいたら、大夫判官と名乗る。しかも父親が判官であれば、その息子たちは、長男であれば判官太郎を名乗り、次男は判官次郎を名乗る。
父親が伊予守(いよのかみ)になったとしたら、長男は伊予太郎であり、次男は伊予次郎。また伊予太郎が将来的に成熟して、朝廷からまた新たに官職をもらったら、もはや伊予太郎ではなく、自分のもらった官職を名乗ることになる。そんな慣習になっていた。
これは武家社会において、江戸時代までずっと続いていくことになります。
だから、たとえば勝海舟であれば安房守(あわのかみ)に任命されると、勝安房(かつあわ)と名乗る。誰も「海舟さん」とか、さらに言えば彼には義邦(よしくに)という立派な名前があるのですが、それでは呼ばれない。