《追悼・立花隆さん》京橋には科学編集者がいた

立花 隆
立花隆氏
ノンフィクション作家の立花隆さんが4月30日に亡くなりました。
小社では『宇宙からの帰還』『脳死』『人体再生』など、主に科学をテーマにした著作を刊行してくださいました。月刊『中央公論』の130周年企画「私と中央公論」に寄せたエッセイをここに再録いたします。

(『中央公論』2017年6月号より)

愛読書は科学雑誌『自然』

 私にとって中央公論と言えば、科学雑誌の『自然』である。小学生から『子どもの科学』を購読し、付録の天体望遠鏡や顕微鏡を作るうちに科学少年になっていた私は、中学生になると『自然』を読むようになっていた。父が編集者だったので、本は家中に転がっていたし、本や雑誌ならば割と何でも買ってくれていたのだ。当時、中央公論社の『自然』は、岩波書店の『科学』と双璧をなす科学雑誌で、一般読者はもちろん、科学者からも信頼されていた。岩波の『科学』は専門用語が頻出する学術誌に近い雑誌だった一方、『自然』はこなれた日本語で書かれていたので読みやすかったと記憶している。


 中央公論社で初めて声をかけてくれたのは、粕谷一希さんだった。私は大学卒業後に文藝春秋に入社、『週刊文春』に配属されるも、最もやりたくない野球担当を拝命して二年で退職。新宿・ゴールデン街でバーを経営したり、取材の手伝いをしたりしながらブラブラしていた。偶然のご縁が重なりジャーナリストとして独立したのだが、粕谷さんにお会いしたのは、『田中角栄研究』で世間に私の名前が知られるようになった七〇年代後半だと思う。粕谷さんと言えば、出版業界の誰もが知る有名編集者だ。「飯を食いましょう」と、京橋の中央公論社七階にあったレストラン「プルニエ」に招かれたときは、嬉しかったことを覚えている。


 雑談をしながら、さて何を書こうか。私にとって中央公論と言えば科学である。中でも少年時代から憧れを抱いていた「宇宙」は、いつか取り組みたいテーマだった。そこで、粕谷さんに「宇宙飛行士の取材がしたい」と言ったような気がする。

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