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《追悼・立花隆さん》京橋には科学編集者がいた

立花 隆

偶然の出会いこそが財産

 中央公論社はその後、読売グループとなるが、私は実は読売新聞社とも縁が深い。文藝春秋を辞めて新宿でバーを経営していた頃、講談社の川鍋孝文さんが店によく遊びに来てくれていたのだが、ある日彼が「三日後にイスラエルに行ってくれないか」と駆け込んできた。聞けば、晴天の霹靂の人事で、二週間後に『週刊現代』の編集長になるのだという。ところが彼は、イスラエル政府観光局のプレスツアーで、三日後に当地に行くことになっていた。社内で代理を立てることもままならず、急遽私にお鉢が回ってきたのである。七二年のことだった。


 イスラエル取材を終え送稿し、そのまま帰るのももったいない。地中海諸国を周遊していた時、日本赤軍がイスラエル・テルアビブのロッド国際空港で銃を乱射する「テルアビブ事件」が起こった。この事件を見ないわけにはいかない、急遽イスラエルへと戻った。すると新聞各社も記者を送り込んでいたのだが、皆、英語があまり達者じゃない。読売新聞の記者に声をかけられ、手伝いをすることになった。日本赤軍の首謀者三名のうち二名が銃撃戦中に死亡。岡本公三のみが生き残り、彼の裁判がテルアビブで始まった。裁判経過を読売新聞社に報告するわけだが、この時受けてくれたのが、当時社会部デスクだった牧野拓司さん。彼はアメリカ留学の経験があり、女優の香川京子さんと結婚するなど華麗な経歴の持ち主だった。


 このイスラエル滞在中に日本の記者から新聞をもらって知ったのが、田中角栄の首相就任である。角栄のことは『週刊文春』の記者時代に取材していたが、とにかく叩けば埃が山のように出る人。政治を少しでも取材した人なら誰もが知っていることだった。渡航前はクリーンなイメージの福田赳夫が次期首相と思っていただけに、この時の仰天は今でも覚えている。


 帰国後、誰かが角栄を追及するだろうと思っていたら誰もやらない。ならば僕がやろうと始めたのが『田中角栄研究』である。


 中央公論新社になってからは、若い井之上達矢君が『立花隆の書棚』という、ひたすら私の書棚を写真で見せる本を手がけてくれた。あまりに膨大な本を記録していくものなので、私は最初気乗りしなかったのだが、写真家の薈田純一さんが編み出した新しい撮影技法も相まって、やり始めたら面白い本になった。


 私が手がけた仕事は、雑誌記者という出自からか、事件、歴史、科学など多岐に渡るが、振り返るとすべては人との偶然の出会いに由来するのだと、改めて気付かされる。

(『中央公論』2017年6月号より)

宇宙からの帰還

立花隆 著

宇宙体験が内面にもたらす変化とは。宇宙飛行士十二人に取材した、知的興奮と感動を呼ぶ壮大な精神のドラマ。〈巻末対談〉野口聡一〈巻末エッセイ〉毛利 衛

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立花 隆
〔たちばなたかし〕
1940年長崎県生まれ。64年東京大学仏文科を卒業後、文藝春秋に入社、『週刊文春』の記者となる。66年に退社し、東京大学哲学科に学士入学。その後、ジャーナリストとして活躍する。83年、「徹底した取材と卓抜な分析力により、幅広いニュージャーナリズムを確立した」として、菊池寛賞受賞。98年、司馬遼太郎賞受賞。『思考の技術』『文明の逆説』『田中角栄研究 全記録』『日本共産党の研究』(講談社ノンフィクション賞)『農協』『宇宙からの帰還』『青春漂流』『脳死』(毎日出版文化賞)『臨死体験』『人体再生』『天皇と東大』『武満徹・音楽創造への旅』(吉田秀和賞)『知の旅は終わらない』ほか著書多数。2021年、死去。


【 立花隆氏 と『中央公論』】
◇初登場
―「宇宙からの帰還」
1981年臨時増刊号 ノンフィクション特集
◇主な連載
―「脳死」1985年11月号から
◇最近では、宇宙飛行士・野口聡一さんとの対談「宇宙の常識と地球の非常識」(2006年2月号)、「大学再生には、今一度の『1945年』体験を!」(2011年2月号)など。』
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