『後ハッピーマニア』安野モヨコ著【このマンガもすごい!】
評者:倉持佳代子
「僕と離婚して下さい」
この男からこんな台詞を聞くとは。全読者がひっくり返ったに違いない。この男とは、一九九五年から二〇〇一年に連載された『ハッピー・マニア』のタカハシこと高橋修一だ。離婚を切り出した相手は、本作の主人公・重田(高橋)加代子である。
「ねてみてはじめてわかることもある」。心より先に体の関係を築いてしまう重田は、失敗ばかりの恋でいつもひどい目にあっていた(ほとんどが自業自得)。しかし、まだ見ぬ「ふるえる程のしあわせ」を求め、うじうじ悩むことなく、我が道を突き進む。当時のヤングレディース誌で、受け身ではない積極的な女の子の恋愛物語は珍しくなかったが、こんなに奔放で、歯に衣着せぬ物言いのヒロインは見たことなかった。いや、いまだに彼女を超える存在はいないだろう。
さてタカハシは、そんな重田をけなげに思い続けた男である。ラストはなんやかんやで結婚の運びになるが、重田は最後まで幸せとは何かを問う。「『永遠の愛』なんて誓えないよ」「浮気するかもしんない」。対してタカハシはこう返す。「本当はこの世の誰もそんなの誓えない」「今......愛してればいいから」と。彼女がおとなしく結婚したかは読者の想像に委ねられた。
答え合わせの機会は思いがけず約二〇年後に到来した。続編『後ハッピーマニア』は、二〇一七年の『FEEL YOUNG』に掲載されたプロトタイプ版の読み切りを経て、二〇一九年に同誌で連載化。本編ラストのやりとりが壮大な伏線となって現在に戻ってきた。続編で重田は四十五歳に。好きな人ができたというタカハシの離婚話も恋がしたかった若い頃なら喜んで承諾したはずだが、結婚して一五年経った今は戸惑いを隠せない。子なし仕事なしの重田の幸せ探しの旅・第二章が続編のテーマだ。
「恋の暴走列車」と呼ばれた重田、再始動か? と思いきやそんな方向に物語は進まない。目の下にはシワ、胸の位置も下に。かつてのセフレと再会するも女扱いされず、自身もセックスが「面倒」と思ってしまう。肉体的にも精神的にも年を重ねた様子がリアルだ。が、ハイテンションかつオーバーリアクションは健在。同じように離婚問題で悩む親友・フクちゃんとの丁々発止のやりとりも相変わらず金言の宝庫。シビアなのに、笑えて軽やか。予測不能な重田の行動に目が離せなくなる。
作者・安野モヨコは、『ハッピー・マニア』後に様々な作品を描いたが、心身のバランスを崩したことから二〇〇八年頃より執筆量を大幅に減らしていた。だが、ここ数年で徐々に復帰。本作もその一つで徐行運転だという。「ハッピーマニアに助けられて、元いた道に戻ろうとしている」。現在、各地巡回中の作者の展覧会図録『ANNORMAL』で安野はそう語る。筆者からすると、十分勘を取り戻したクオリティで、それどころか表現に磨きがかかったと感じる。名作『ハッピー・マニア』が続編によってさらに深く楽しめる。
(『中央公論』2021年8月号より)
京都国際マンガミュージアム研究員。