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日本人は何を怖がってきたのか――現代怪談の変遷

吉田悠軌(怪談研究家)
 怪談研究家として知られる著者が、現代怪談の変遷について振り返る。リアリティをいかに捉えるか、「心霊」という概念とは何か……。
(『中央公論』2021年9月号より抜粋)

そもそも怪談とは?

 怪談とは「本当にあった不思議な話」である。また、それでしかない。

 これは現代怪談に限らず、人類誕生時から続く怪談史の不変の真理だ。

「これって今、俺が考えた作り話なんだけどさ。友人のA君が、この前、変な体験をしたと思ってよ......」などと怪談を語りはじめるバカはいない。「本当にあった」としなければ成立すらしないのが怪談であり、極論すれば、たとえ100%の創作でも、語り手は「実話」形式をとらざるをえない。受け手側も、どれだけ疑いを挟むかはともかく、一応「実話」形式のもとに享受する。

「不思議な現象を体験した人がいるらしい。その現象が自然科学的に実証・再現可能かは不明だし、そんな詮索は無意味だ。なぜなら『ありえない不思議があった』という矛盾こそが面白いのだから。ともかく体験自体は『本当にあった』のだから、その話を聞き、怖がろうではないか」

 これが現代の怪談好きのスタンスだ。もっとも、当の怪談がどうしても「創作」にしか思えないものだとしたら、どんな怪談好きでも(いや怪談好きであるほど)「これは非・怪談だろう」と投げ捨ててしまう。

「創作でも怖ければいいじゃないか」と思うだろうか? それは違う。

「ありえない不思議があった」からこそ怖いのだ。なのに、それが誰かの脳内で想像された「創作」であれば、別にどんな不思議現象だって「ありうる」ではないか。それでは怪談の恐怖の本質からズレてしまう。

「創作怪談」というものは絶対にありえない。「創作」を前提とした恐怖系作品は、ホラー小説、ホラー映画などのジャンルに分類される。

 冒頭の定義を言い直せば、怪談とは「本当にあった/と我々が思える/不思議な話」でなければならない。

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