日本人は何を怖がってきたのか――現代怪談の変遷
変わる部分、変わらぬ部分
以上、怪談のややこしい定義を説明したのは、これが「現代怪談の変遷」というテーマに直結するからだ。
怪談には、時代によって変わる部分と変わらない部分がある。その「物語構造」は、数百年前の昔話と驚くほど似通っている。「表現方法」「テクノロジー」は文章、または肉声による語りのどちらか、と非常に原始的だ。特に同じ空間で対面しての語り(怪談会など)が重視される点は、太古の時代からほとんど変わっていないとすら言える。
では、変わる部分とはなにか。テクノロジーの発展により生活スタイルが変化すると、怪談はかなり素早くそれに対応する。明治期、カメラが普及すれば「撮影により魂を吸われる」との噂が、汽車が走るようになれば「狸が汽車に化けた」との奇譚がすぐに囁かれた。近年でも、ネットワーク技術の進化で新サービスが登場するたび、それにまつわる怪談が生まれる。「LINEで死んだはずの人のアカウントから既読がついた」などという話は有名だ。
ただ先述通り、「物語構造」はそう変わらない。「乗客がいつのまにか消えていた」怪談は、駕籠→人力車→タクシーと表面上は変化しつつも、構造的には似た話が変奏されているだけ。スマホ機能や各アプリなど最新ガジェットが普及すれば、それにまつわる怪談も出るが、内容に革命的変化が起こるわけではない。
15年前、私は「Skype通話でやりとりしていた相手の部屋の映像に、いるはずのない謎の男が映っており、先方の女性の肩に頭を乗せていた」との体験談を採取した。しかし現在、似た体験がZoomで起きたという怪談も聞く。反対に時代を遡れば、ビデオ、写真、鏡を使っての、しかし構造は同じ怪談が幾つもあるだろう。
現代怪談は、技術発展や社会変化によって刻々の変遷を生じる。しかし注目すべきは、ガジェットなど道具立ての変遷ではない。真に重要なのは、我々が怪談に抱く「リアリティ」がどう変化していったか、なのだ。なにしろ怪談とは「本当にあった/と我々が思える/不思議な話」なのだから。我々が不思議な現象を本当にあったと感じるリアリティの位相は、それぞれの社会状況で異なっている。それを確認することが、すなわち「現代怪談の変遷」の説明に繋がるだろう。