コロナ後の「希望の図式」 岡田暁生【小林秀雄賞受賞 記念寄稿】

岡田暁生(京都大学教授)
岡田暁生・京都大学教授
 岡田暁生・京都大学教授が著した『音楽の危機』(中公新書)が、第20回小林秀雄賞を受賞しました。本作はコロナ禍が招いた音楽の危機的状況を、またそれ以前から潜在的に進行していた音楽界の窮状を分析し、未来を考察した1冊です。
 小林秀雄賞の受賞を記念し、岡田教授に寄稿していただきました。

コロナが阻んだ集い

 『音楽の危機』は、2020年の最初の緊急事態宣言の際に1ヵ月で書いたものである。まだ東京オリンピック・パラリンピックの延期すら決まっていなかった頃だ。出版されてからおよそ1年。幸か不幸か、今読み返して事後修正したくなる箇所はほとんどない。状況を考えれば自慢するようなことではないが、先見の明はある程度あったということだろう。本来であれば、2020年夏に華々しくオリンピックがひらかれ、年末になれば何事もなかったかのように各地でベートーヴェンの『第九』が歌われていた可能性だって、当時はあったわけだから。

 コロナ禍が世界中に広まり始めたときに私が感じたのは、近代社会を成立させてきた枠組みが根本から瓦解してしまう恐怖であった。それはつまり「誰もが打ち解け、分け隔てなく集う場」が消える不安である。

 近代市民社会とは「個人」に至高の価値を与える社会であってきた。しかし個人至上主義はまた、近代以前のさまざまな共同体を分子化してしまうリスクと一体でもあった。核家族化、一人一部屋、ひきこもり、孤独死――すべて「至高の個人」の裏返しであろう。だからこそ分子化した大量の個人を接合する社会の接着剤が要る。「絆」である。個を超えた感情共同体/共働体を創ることで集団エネルギーを引き出すのだ。これは、アダム・スミスがすでに『道徳感情論』で看破していた通りである。居酒屋やカラオケ・ボックスや文化祭や体育祭やライブハウス、そして音楽やスポーツの大規模イベントはすべて、この感情共同体を創るための近代社会のモーターだった。そしてコロナ禍が直撃したのは、まさに社会の動力のこの心臓部であった。

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