権容奭 Netflixオリジナルドラマ「イカゲーム」を生んだ韓国のソフトパワー
映し出される社会の現実
本作は格差や借金苦、不平等と超競争社会など韓国社会の"不都合な真実"を赤裸々に反映している。ゲームの参加者は借金と貧困にまみれて自らを救う道を見失った人たちだ。
実際に「借金も資産(能力)のうち」「借りられるだけ借りる」が常識の韓国では、家計負債は対GDP比で100%を超え、借金苦で漢江(ハンガン)の橋の上から身を投げる人も多い。老人貧困率はOECD加盟国中最高で、相対的貧困率も高い。
追い打ちをかけるようにコロナ禍で自営業者は廃業に追い込まれ、就職はおろかアルバイトすらできない若者は、借金をしてオンライン賭博やビットコインなどハイリスクの投資に賭けている。ソウルの不動産はこの数年で倍以上に高騰し、デスペラードな(自暴自棄な)若者は韓国を「HELL(ヘル・地獄)朝鮮」と呼ぶ。持ち家、車、就職、結婚、出産、恋愛などこれまで当たり前とされたことを放棄せざるをえない彼らは「N放世代」(すべてを放棄しなくてはならない世代)と呼ばれている。
作品中、ゲームの参加者は一度はゲームを諦めるが、結局、外の世界も「地獄」と変わりないという現実を前に、再び自らゲーム場に戻ってくる。窮地に追い込まれた彼らは、解雇された労働者、外国人労働者、脱北者、前科者、老人などの代表的弱者やマイノリティだ。とりわけ、主人公のソン・ギフンは双龍(サンヨン)自動車の解雇労働者を連想させる(劇中では「ドラゴンモーターズ」)。
双龍自動車は韓国有数の自動車メーカーだったが、2004年中国企業に身売りされ、リーマンショック後の09年には大量解雇が行われた。会社の方針に反対して労働者が77日間スト闘争を展開した時には、警察の過剰な鎮圧が行われた。リストラに伴う大量解雇とストから、訴訟と復職闘争、解雇者および家族の自殺まで、ニュースで接した監督は、実際にこの事件を参考にしたという。
「中産階級だった平凡な労働者ですら、解雇と、そのあと始めた商売の失敗によってどん底まで堕ちうる現実をギフンを通じて描きたかった」。その上で、デスゲームを「現代資本主義社会の比喩、寓話のようにつくりたかった」と監督はインタビューで語っている。仮面を被ったゲームの管理者は資本主義の「見えざる手」と言えよう。
ギフンと最後に「イカゲーム」で対戦するサンウも重要な人物だ。二人はソウルの北東部にある双門洞(サンムンドン)出身の幼馴染みという設定。双門洞は東京でいえば葛飾区・足立区のような下町、庶民的で旧き良き韓国の象徴とされる地区で、人気ドラマ「応答せよ1988」の舞台にもなっている。貧しいけれど人間らしさを失わないルーザーとしてのギフンと、「辺境」から脱して名門ソウル大学を出てエリート証券マンになった競争の勝者としてのサンウ。この対照的な二人は、双門洞に生まれ、ソウル大学を出たファン監督のペルソナと言える。
(後略)
1970年韓国ソウル生まれ。子どもの頃から日韓を行き来する。一橋大学法学部卒業。同大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(法学)。2008年より現職。専門は東アジア国際関係史、日本外交史。著書に『岸政権期の「アジア外交」』『「韓流」と「日流」─文化から読み解く日韓新時代』などがある。