速水健朗 なぜ批評は嫌われるのか 「一億総評論家」の先に生じた事態とは
解釈と経験の対立構図
「批評」という行為のなかには、作品を分析し、解釈したり意味づけしたりといったことが含まれる。その中で「解釈」の部分が現代では嫌われつつある。そう捉えると腑に落ちることも多い。
一方、作品を作るという行為のなかにも批評性がある(むしろ多くを占めているともいえる)。例えば、スパイク・リーはシカゴの女性を描いてはいるが、同時に古代ギリシャ喜劇の地名をなぞらえるなど、作品にさまざまな意味を重ねている。これは「解釈」の積み重ねで作られた映画でもあるのだ。
スパイク・リーが「解釈」をする側に立つとして、それを批判するチャンス・ザ・ラッパーは、何の側に立っているのか。大和田の見立てでは「経験」だという。他者の置かれた状況は、あくまで他者の「経験」として受け止めるべきこと、つまり文化多様性をチャンスは重んじているのだと。
この議論は、「モノ消費」から「コト消費」へという消費の潮流を前提としている。
チャンス・ザ・ラッパーは、ネットの配信で有名になったミュージシャンだ。主な収益源は、ライブ出演やグッズの販売。CDなどの商品を軸とするのが「モノ消費」。そうではなく、ライブなどの体験を重視するのが「コト消費」。チャンスが重視する「経験」「体験」は、ソーシャルメディア発展以降の価値観を持つ、共感の延長線上で登場してきたアーティストにとって必須の要素だ。
「解釈」対「経験」――ここには世代間の対立の側面もある。
チャンスの立場は、Z世代(1990年代半ばから2000年代生まれの世代)的だ。文化多様性を前提としたコミュニケーションに慣れ、作品も生み出してきた立場。そのなかでチャンスは、93年生まれでZ世代と親和性の高いラッパー。
かたやリーはブーマー世代(アメリカにおいてのベビーブーマー世代の幅は広い)。シカゴとニューヨークという、彼らが代表する都市の違いだけでなく、さらに深い対立点として、世代の違いが、批評(解釈)へのスタンスにも結びついているのだ。
1973年石川県生まれ。『1995年』『東京β』『ラーメンと愛国』『フード左翼とフード右翼』『東京どこに住む?』など著書多数。おぐらりゅうじ氏とのPodcastオリジナル番組「すべてのニュースは賞味期限切れである。」を毎週配信。